Lord, make me an instrument of Your peace.
〜主よ、私をあなたの平和の器にしてください〜
一人ひとりが『賜物』を磨き、しなやかに生きる
深い思いやりを覚え、他者とともに生きる
自分の見聞きしたものを「ことば」にし、考えや想いを相手に届ける。他の人からの情報や気持ちを受け止める。表現力とは、理解し考えようするときに発揮される、自分を人や社会とつなげ広げていく力です。学びの中で得た言葉や身体表現、音楽、絵画など、一人ひとりの得意な「ことば」を活かしていきます。
閉じる物事に対する視点を転換する。異なるものを記憶にない仕方で組み合わせる。創造力とは、新しい価値を生み出し続ける力です。新しい結び目は小さな声に耳を澄ますことから見出されます。時代に流されず、しかも他の人たちと協調しながら、柔軟な感性と思考を鍛え、勇気ある意思決定と行動を試みていきます。
閉じる複雑な事柄を分類する。一貫性を持って構造化する。根拠を示しながら説明する。論理力とは、問いを立て、答えを導く力です。問題意識が問いを立てる源泉となり、仮説と検証の試行錯誤が知恵を磨きます。一つひとつの物事に丁寧に向き合う積み重ねから、予測が難しい時代を俯瞰する思考を求めていきます。
閉じる「求めなさい、そうすれば与えられる」
マタイによる福音書 第7章7節
香蘭女学校の考える本物との出会いとは、本物の自然、芸術、文化との出会いだけでなく、神様とのつながり、人とのつながり、そして自分が見守られ支えられていることを知ることを包括します。本物を知り、本物の持つ力に感化されることで、未知の世界への興味や関心と真理を求める心が喚起され、教室での学びは繋がりをもった知恵へと昇華されます。その知恵は多様な価値観を受け入れながら共に生きる力の土台=「教養」となって、自らの一生を支えてくれるはずです。
閉じる「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」
マタイによる福音書 第7章12節
自分を大切にするということは、優劣をはなれて自分を認め受け入れ、かけがえのない存在であることに気付くことです。自分のように他の人も大切にするということは、誰かのために祈るということ、いつも誰かのそばにいると想うことです。自分を大切にすることで、友人、先生、家族、まだ出会ったことのない人々、これから出会う人々のことをも大切に想う気持ちが芽生えます。それは多様な文化背景や価値観の存在するこの世界を生きるわたしたちが、互いの違いを超えて他の人を共感的に理解し、ともに生きていく素地となるはずです。
閉じる「主よ、わたしを平和の器とならせてください。」
アッシジの聖フランシスの祈り
若い日に「自分という人生」のプロセスをどのように歩んでいきたいかを考えること。それは地図のない旅に出る人のように、北極星を目印とし、希望と羅針盤だけを持って一歩また一歩と足を前に進めることです。自分はどういう人間になりたいのか、また他の人や社会からどのような人間であることを求められているのか。希望と羅針盤とは、神様から与えられた「賜物」を大切に磨き、大きな事も小さい事も「愛」を持って臨むことによって育まれる、変化する時代に対応し学び続ける力としなやかな感性に他なりません。それこそが、わたしたちが与えられた人生の時間を活かし生き抜く力となるはずです。
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