チャプレンメッセージMessage from the Chaplain

2025年02月01日掲載

「愛は忍耐強い。愛は情け深い。妬まない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、怒らず、悪をたくらまない。不正を喜ばず、真理を共に喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。愛は決して滅びません。」 コリントの信徒への手紙一13章4-8節


 2月14日には必ずこの聖句を読む教会もあります。2月14日は愛やロマンスの日として世界中に浸透しています。この日をチョコレートを好きな人にあげる日、あるいは愛を告白する日と認識している人も多いでしょう。しかし、元々2月14日はバレンタインデーではなく、聖バレンタインの日だったのです。

 では、聖バレンタインとはどんな人物だったのでしょうか。実はよくわからないのです。バレンタイン(力強いの意)は2世紀から4世紀頃、最も多い男性の名前でした。ですから、この名前の殉教者もたくさんいたのです。どのバレンタインが聖バレンタインを指すのか定かではなかったのですが、ある時、考古学者たちが古代ローマのカタコンベを掘り起こすと、聖バレンタインを祭っているのを発見したのです。その後、496年にローマ教皇ゲラシウスが2月14日を殉教者聖バレンタインの日と制定しました。

 しかし、なぜその日が愛を告白する日となったのでしょうか。これは、「カンタベリー物語」で知られる中世の英国詩人ジェフリー・チョーサーのお陰です。チョーサーはしばしば歴史を曲解し、詩の登場人物を架空の歴史物語に登場させ、史実であるかのような演出をしました。彼の作品「Parliament of Foules(鳥の群れ)」で、愛の告白の伝統を聖バレンタインの日と関連付けたのです。詩の中で、鳥たち(人を例えている)が相手を見つける日が2月14日だとしているのです。なぜ、チョーサーがこのような関連付けをしたのかはわかりませんが、この詩が多くの関心を集めるまで、バレンタインデーがポピュラーカルチャーになることはありませんでした。

 実際、1375年ごろに書かれたとされるチョーサーのこの詩が発表されるまで、2月14日がロマンチックな祝日であったという記録はどこにもありません。しかし、1375年後から、にわかにイギリスで、その後ヨーロッパへと愛の告白の日として急速に広まっていったのです。その後、世界では、2月14日は男性が女性に結婚の申し込みをする日として意識されるようにもなりました。

 今年の2月14日のバレンタインデー、キリスト教のために殉教した聖バレンタインがそのルーツにあるということを少し心に留めると、口にするチョコレートも一味変わったものになるかも知れません。


香蘭女学校チャプレン  マーク・ウィリアム・シュタール