チャプレンメッセージMessage from the Chaplain
2025年10月01日掲載
子よ、父の戒めを守れ。母の教えをおろそかにするな。それを常に心に結び付け首に巻きつけておけ。それはあなたの歩みを導き、床に就くときも守り、目覚めればあなたに話しかける。戒めは灯、教えは光、諭しのための懲らしめは命の道。
箴言6:20~23
(このみ言葉は毎年、英国国教会の聖ヒルダの記念礼拝で読まれています)
10月に入ると、香蘭では全校上げて恒例のヒルダ際に向けて機運が高まります。聖ヒルダ(614-680)がこの文化祭の名前の由来となっています。香蘭が大切にしてきた守護聖人ですが、聖ヒルダについて私たちは果たしてどれくらい知っているでしょうか。聖ヒルダは657年にイングランド北東部ウィットビーで修道院を開き、院長になります。ウィットビーは、宗教にとって重要な拠点の一つで、男女両方の修道院がおかれていました。
8世紀に、イングランドのキリスト教歴史家ビード氏が聖ヒルダについて書き残してくれたお陰で、彼女の足跡を知ることができます。彼女の将来を最初に暗示したのは彼女の母が見た夢でした。夢で聖ヒルダの母は、服の下から透けて輝くネックレスを見たのです。その光は矢のごとく、英国全土を包み込むようだったと言います。ビード氏によると、彼女の働きは光そのものだったという意味でそのネックレスは聖ヒルダを象徴するものでした。
国へは2ルートからキリスト教が入ってきました。アイルランドからのケルト系とイタリアからのローマ系の2つでした。聖ヒルダはローマの伝統に則り洗礼を受けましたが、ケルトの教えからも多大な影響を受けました。ヒルダが双方の伝統を重んじ、一つのものとして受け止めたことに大きな意味を感じます。彼女が運営する修道院では、「正義、敬虔、清貧」を厳しく守り、「平和と慈善」の実践が求められました。誰一人として裕福な者も貧しい者もなく、すべてのものが共有されました。
聖ヒルダの最大の功績は664年の宗教会議を主催し、その後のイングランドにおけるキリスト教の方向付けをしたことです。会議では、ケルト系とローマ系とでイースターの時期が異なっていましたが、この時にローマの教会歴に沿ってイースターが定められました。
聖ヒルダは中世の14の教会の守護神となり、1893年にはオクスフォード大学にセント・ヒルダス・カレッジが設立されました。その他、香蘭女学校のように聖ヒルダにあやかって運営されている学校が世界各地にあります。光矢を放つネックレスに象徴される聖ヒルダの光が香蘭女学校の生徒、教職員、交友生、関係者、ご家族にも届きますように。
香蘭女学校チャプレン
マーク・ウィリアム・シュタール