チャプレンメッセージMessage from the Chaplain
2017年06月01日掲載
子どもの頃、鎌倉幕府成立は「いい国作ろう、鎌倉幕府」という語呂合わせで、1192年と覚えさせられました。それは、源頼朝が征夷大将軍に任じられたのを機に、鎌倉幕府成立としたのが根拠のようです。ところが、その源頼朝が朝廷から日本の支配を認められたのを根拠に、鎌倉幕府成立を1185年とするとの考え方が、近年言われるようになりました。
あるいは、日本で一番古い貨幣は「和同開珎」と教わりましたが、20世紀終わりの発見により、和同開珎より700年ほど古い「富本銭」という更に古い銅貨があることが分かりました。同じように、世界最古の人類は「アウストラロピテクス」と教わってきましたが、更に古く「サヘラントロプス・チャデンシス」がそれに当たるということも、今や広く知られています。
考古学などの進歩により、ある時期まで「それが本当だ」「それが絶対だ」と言われてきたものが変えられたり、覆されたりすることは儘あるようです。それは、私たちの生活や人生に於いても当てはまるところがあるように思えます。確かに、世の中には変えることのできないものや、変えてはならないものもあります。しかし、変えずにいること、変えようとしないことによって、却って自らに縛りを与えるものもあります。
「自分の心持ちが変わると、人生そのものが変わり得る」と言った人がありました。その時は、「本当に、そのようなものなのか?」「そのようなことを、そう簡単にできるものだろうか?」との疑問を、あるいは否定的、反抗的な思いを持ちました。
「過去を変えることはできない、しかし未来を作る(創る)ことはできる」という名言もあります。上に述べましたように、過去の出来事そのものを変えることはできないでしょうが、その出来事に向き合う自分の心や意味づけは変えることが出来得ることでしょう。それは、徒に過去に執着しないことに繋がり得ることでもありましょう。もちろん、執着の全てが悪いとは言えませんが、自分を縛り、雁字搦めにし、心や気持ちの柔軟さを奪い取るような執着は手放したいものです。そのような執着は、未来を閉ざしかねません。心を頑なにし、創造性を奪い取り、豊かな広がりや深まりを奪い取りかねない、とても勿体ないことであると思えます。そして、そのことは、「今」という掛け替えのない時から心が逸れ、今という二度と無い尊い時間を無駄にすることにも繋がるものとなり得ましょう。
人間には、ともすれば過去の栄光に浸り、いつまでも留まっていたいという心の動きがあります。それが、自分の中だけで留まるものであったり、それをバネに更なる飛躍に繋がっていったりするものとなるのであればまだしも、他者と比較することによって優越感に浸るための道具となった時、その折角の栄光には曇りが掛かってくることでしょう。なぜならば、そこには、「勝ち負け式発想」は垣間見えても、真の成長や豊かさに通じる何かが見え難いように思えるからです。
「勝ち組、負け組」という言葉が、頻繁に使われるようになって久しくなります。教育の分野でも無意識に口にされていることが、ないわけではありません。無意識というものが持つ恐ろしさを感じさせられる一方で、未だに「勝ち組、負け組」という言葉が使われている場違いさえ感じます。スポーツの世界であれば当然ですが、そぐわない場所や場面での言葉からは、更に誤った何かを生み出す危険や恐ろしさを伴います。
「勝ち負け損得」から、「本物か偽物か」への時代と世界は動き始めていると言えましょう。むしろ、動き始めていると言うよりも、原点への立ち返りかも知れません。