チャプレンメッセージMessage from the Chaplain

2017年07月01日掲載

様々な機械を使うに当たって、大変便利なものにマニュアルがあります。自分を振り返ってみます時、上手く操作できないのは機械の方に問題があるのではなしに、マニュアルをきちんと読んでいない自分の方に問題があることに何度も気付かされます。それでも一向に改めないのは、唯の愚ということなのでしょう。しかしながら、人間相手のマニュアルも少なくないことにはいろいろと考えさせられます。コンビニエンスストアやファストフード店、さらには病院、美容院などでも「あれ?」と思わされる場面があります。しかし、「あれ?」では済まされないように感じる時もあります。それは、命や生きることに直結する大切なことまでもが、しばしばマニュアル化されていることです。人は機械ではありません。尊い命を授かっている掛け替えのないもののはずです。

生前、マザー・テレサは、「この世の最大の病、最大の不幸とは、貧しさや病ではありません。誰からも自分は必要とされていないと感じることです」ということを何度も言われました。単にシスターだからということではなしに、命の繋がりを心底大切にされ続けた方であり、その命の繋がりを尊ぶ働き、命との真摯な向き合いを終生され続けてこられた方のメッセージであればこそ、心に響きもします。人は繋がっているから頑張ることもできます。そして、その繋がりという素晴らしく、美しいものは心で感じなければならないものであると言えましょう。

繋がりとは、段々年を重ねてきますと、体のアンバランスさからも窺い知ることができます。例えば、足を引きずって歩いていると、もう一方の足に負担がかかります。さらには、足に留まらず膝や腰、何と肩にまでも傷みが生じたり、目に負担がかかったりすることまでもあります。ある専門家に伺った話ですが、「体のどこかが痛むと別のどこかがかばう。自然に支え合うことをはじめるのですよ」と。人間同士のこと、命の繋がりのことにも、そのまま当てはまるようです。

世の中には、決して弱音は吐くまいと頑張っている人、助けを求めることなど論外であるという信念を持っている人も少なくはありません。でも、人間であるからには、その心の奥底には、響き合う人を求める思いが強くあるように思えます。長所のみならず、短所をも愛し、受容してくれる誰かを求める心があるはずです。必死に短所を誤魔化したり隠し切ろうとしたりしている人は、本来愛されるべきところまで誤魔化し、隠しているのではなかろうかと、そして、自分をより小さくしてしまっているのではなかろうかとさえ思います。さらに、そのような人から感じるものがあります。それは、「言っていることは非の打ち所がない。でも、何かしっくりこない。そして、正しくても優しくないことが、世の中案外多いのかも」と。正しさと正しさがぶつかってとんでもない事件や争いを引き起こすこともあるということを、私たちは知っています。けれども、優しさと優しさとが出会う時、そこには破壊や差別ではなく、さらに大きな優しさが生み出されてくることも、経験上よく知っているはずです。

私たち人間であるからには、喜怒哀楽もあります。ちなみに、大ヒットする映画や小説の共通点とは、主役を始め人びとの喜怒哀楽の幅に広さがあることだそうです。なぜなら、喜怒哀楽の振れ幅が広い程、人は感情移入し、引き込まれていくからだそうですが、人の魅力も似ているようです。「斯くあるべし」という建前だけを振りかざすことは、却って人の幅を狭くしていくようです。喜怒哀楽がコロコロ変わる気まぐれではなしに、生き方に一本筋が通っていてこその心の振れ幅は大事にしたいものです。より良い命の繋がりのためにも。