チャプレンメッセージMessage from the Chaplain
2017年09月01日掲載
昨年は双方の日程が合わず実現できませんでしたが、今夏、二年ぶりに「山荘受入ボランティア」を実施することができました。8月3日から四日間の日程で、同じ聖公会に属する東北教区の郡山にありますセントポール幼稚園の先生、園児、卒業生、保護者の方々30名近くがお運びくださいました。
当初は、初顔合わせということもあり緊張の幕開けでしたが、グランドでの鬼ごっこを機に、幼子たちと本校生徒たちは、まるで旧知のように仲良くなるのも一瞬の出来事でした。夕方は室内で卓球が始まりました。その中、4歳児の可愛い坊やが高校三年生を相手に一生懸命ボールを追っていました。しかし、顔ほどもあるラケットは、私たち大人からすればテニスラケットのように感じたことでしょう。頑張っても、頑張ってもボールが当たりません。時折当たっても、真っ直ぐ相手に向かって飛びません。けれども、その内工夫を凝らし始めました。本来、卓球はワンバウンドで打ち返すゲームですが、本格的な試合ではありません。気を利かせた高校生は、ワンバウンドで打ち返すのは難しいと見るや、台の上にボールを転がし返し始めました。そうなると、紅葉のような小さな可愛い手でもボールを掴めます。卓球からボーリングへ変身(?)の中、笑顔が増し加わってきました。しかし、それだけでは終わりませんでした。小さく軽いピンポン球は息を吹きかければ転がすことができます。ますます面白くなってきたのでしょう。これ以上膨らむかと思える程に頬を膨らませ、転がってきたボールを返しています。
子どもたちの持つ、あるいは子どもたちに備わっている想像力、創意工夫の力に思わずうならせられる程でした。思いますに、宛がわれるだけ、指示待ち、上げ膳据え膳が当たり前のような中には、このようなことは生み出されていかないとさえ思わされました。確かに、宛がわれるだけ、指示待ち、上げ膳据え膳は楽です。しかし、本当に何かを楽しむことができるのだろうか、心がワクワクするようなことに通じるのだろうかとさえ思わされる光景でした。
あっという間の四日間でしたが、最終日のご挨拶の折には目頭を熱くする大人たち、「帰りたくない」と泣き出し、先生や親御さん方を困らせている子どもたち、でもそこには得も言えぬ温かい心が流れていました。高校の教頭先生でもいらっしゃる先方の保護者の方からいただいたご挨拶の中、過分な感謝の言葉をいただきました。私たちからもまた、遠路をお運びいただいたこと、豊かな時間を共々に過ごさせていただけたこと、生徒たちから笑顔ともてなしの心を豊かに引き出していただいたこと、これで終わりではなく、始まりに繋がる大切なものを授けていただいたことへの感謝を当然のことながらお返ししました。そのような感謝が交わされる中、ふと思わされました。私たちは人から感謝されることはこの上無く嬉しいことですし、感謝すべきことですが、感謝が出来る、感謝を捧げることができる、そのことも深い喜びであり、ありがたいこと、そして幸せなことであるということを。さらに、人の心を動かし、動かされるのは、決して機械では無く、人の心であると。
しかし、それだけではありません。様々な状況の中に在りながらも生きていく気持ちを保ち続けさせるものとは、何かが出来ようが出来まいが、早かろうが遅かろうが、他の誰でもない、そして掛け替えのない自分が好きである、大事であるということもまた思わされる四日間でした。好きなもの、大事なものは、誰でも失いたくありません。人を出し抜くこと、負かすことでしか自信を持てないというのは、余りに淋しい気がします。昨今の教育事情に、大きな問いを投げ掛けてくれた四日間でもありました。