チャプレンメッセージMessage from the Chaplain

2018年11月01日掲載

「楽譜に書いてある通りに几帳面にやって、規則に合ったことをやって、『はい、これで終わり』というような演奏会をされたら、みんなバカバカしくなって、音楽会に来なくなる」とは、世界に名だたる指揮者小澤征爾氏の言葉です。
規則ということで言いますと、小さい頃から親から、先生から、周りの大人たちから「規則正しい生活をしなさい」と何度も何度も言われたものでした。それだけだらしない子どもとして周りの目には映っていたからでしょう。確かに規則は大切です。ことさら集団生活に於いては、規則は大切であり、必要不可欠なものです。
けれども、同時に忘れたり、置き去りにしたりしてはならないリズムというものがあります。上述の小澤征爾氏の言葉にも重なるかと思いますが、ある特定の音だけを一秒間隔に出せば、至って規則正しい音の連続にはなるでしょうが、心に響くような美しいメロディーは生まれてはきません。但し、そのリズムも狂い出しますと、せっかくの美しい音楽も不快なものになりかねません。それは、時間の使い方や暮らしにも通じるところがあるようです。
専門的なことは分かりませんが、医療の現場に於いても「規則正しい」とか「規則正しく」という言葉が使われます。心電図や脈拍数などに当てられています。その一方で、健康をチェックしておられるドクターの方を見ていますと、データ尊重のドクター、真っ先に患者の顔を見るドクター、一瞬たりともと言えるほどに患者の目を見続けて話されるドクターなど様々おられます。そのような中で、「このドクターは信頼できるな、尊敬できるな」と思えるドクター方に共通しているように思えることとは、病気を抱えている人や不安を抱えている人を観(診)ているという点です。そして、治すことだけではなしに、癒すということにも心を注いでおられる様子がうかがい知ることができるということです。
癒しとは病気にかかった時だけのことではありません。そうではない日常の中でも求められ、大切にされます。私たちは通常辛い思いはしたくありません。苦しみからも遠ざかっていたいと願います。悲しい思いも、できれば避けたいものです。しかしながら、期せずしてそういう場面に遭遇したり、そういう心境になったりさせられもします。
けれども、辛い思いはプラスになる、苦しかったこと、悲しかったことがいつか必ず花開く時があるということを大分後になってから気付かされます。その時、辛いことや悲しいことは、幸せになるために必要なことであったのだ、ということも大分後になってから気付かされます。人間ゆえ愚痴をこぼすこともあります。弱音も吐きますし、涙も流します。そういう自分を優しく包み込むものの一つが真のユーモアであり、癒しに通じる道なのかも知れません。同時に、自分の大切な居場所を見出すことにもつながっていくようです。
あるホテルのフロントでのことです。チェックインをする客に向かってフロントクラークの女性が笑顔で「お帰りなさいませ」と声をかけている場面を目にしたことがあります。「いらっしゃいませ」より遥かに素敵なものを感じました。そこには、例え数日であっても我が家のようにゆっくり過ごしてほしいとの願いを、大切な居場所の一つであって欲しいとの心を感じさせられました。その光景を見ながら思いましたのは、本当の居場所とは、建物とか地図の上の一点ではなく、自分が心から大切だと思い、傍にいてほしいと思える人や心、自分のこと心に留めてくれる人や心、自分の存在を受け容れ、受け止めてくれる、本来人間に備わっている癒しの心の中なのでしょう。