チャプレンメッセージMessage from the Chaplain

2019年10月01日掲載

“あなたがいるから私がいる(I am because you are)”

アフリカの南部には‘ウブントゥ(UBUNTU)’という精神が受け継がれている。ウブントゥは、共同体的な愛と友情の大事さについて示す言葉であるが、ウブントゥに因んだ次のような逸話がある。ある人類学者がアフリカのある部族の子どもたちにクッキー取りのゲームをしないかと誘った。木の枝にクッキーをかけておいて、速く走って先に着いた人がたくさん食べられるというルールを説明した後、スタートのサインを送った。ところが、子どもたちは別々ではなく全員が手をつないで走り、木のところに着いたら一緒にクッキーを食べ始めた。人類学者は、早く走れば独り占めすることができるのに、なぜ一緒に手をつないで走ったのか、と聞いた。すると子どもたちは声を合わせて“ウブントゥ”と言って、友だちが悲しんでいるのに、どうやって一人だけが幸せになれるのか、と答えた。
この逸話によるとウブントゥは、世の価値基準や倫理を超えた、神に模られた人間同士による友情と愛の営みだと言える。ウブントゥは普段の挨拶の言葉としても用いるが、南アフリカのズールー(Zulu)語で“あなたがいるから私がいる(I am because you are)”という意味である。ウブントゥは人という存在は独りではなく、相互の関わりと絆によって生かされていることを示す。つまり、人は他者との関わりを通して人格が形成され、人々との交わりの中で人間になっていく、ということを表わしている。人間のアイデンティティが、西欧の個人主義の場合は可能な限り他者から独立することによって形成されると認識する半面、ウブントゥは家族や友人との交わりを通して、また関わる共同体の中で形成されていく、という古き知恵である。インテグラル思想(Integral Psychology・Spirituality)の提唱者であるアメリカの心理学者ケン・ウィルバー(Ken Wilber,1949-)は、心理的に未熟な人は全体から自分を分離し客観化することによって自己アイデンティティを確認しようとする傾向があると指摘したが、それに沿って人類の文化や精神についての理解は考え直すことが求められる。
世の価値基準を超えた愛と友情の営みとしてウブントゥは、人々との関わりについて多くの示唆を与える。経済論理と個人主義が支配している世界に生きている多くの人々は、ある日突然、他人や自然世界から断絶されている自分を発見し、独りぼっちになっていると感じることがある。そういう人たちは、人々だけではなく動物や自然などの命あるものとの親密感と交わりを恋しがる。また陳腐な価値を嫌がる多くの若者の場合は、肉体的な感覚や思弁的な思考の向こう側、そして機械的唯物論という牢屋を超越する神秘との関わりを多方面から探っている傾向もある。つまり、現代人の意識と生き方は、人間として持つべき本来の姿と関係性を取り戻し、進むべき意識の深化を求める傾向にあると言える。ところが、それは決して新しい価値への追求ではない。とりわけキリスト教に準じると、それは古くからの教えである。ウブントゥの意味である“あなたがいるから私がいる”という相互関係性は、聖書の根本的な理解であり、イエス・キリストの生き方そのものである。イエス・キリストは、三位一体の神との関わりを始め、人々の交わりを通して自ら友情と愛の模範を示されながら、人類を神へと導いた。時代を超えて、教会とそれに連なる諸機関の営みは徹底してそれに基づいているが、私たちの香蘭女学校の在り様は、今どのようになっているのか。私たちは互いに“あなたがいるから私がいる”と語っているだろうか。生徒と教職員はもちろん、保護者も含めてそれについて考えてもらえると嬉しいし、更に分かち合うことが出来れば幸い。それこそが学校の精神と教育の根底について再確認する行いであるからだ。

香蘭女学校チャプレン  成 成鍾