チャプレンメッセージMessage from the Chaplain

2020年04月01日掲載

木からの学び   

   

“週の初めの日、朝早く、まだ暗い内に、マグダラのマリアは墓に行った。 そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。” (ヨハネ20:1)

寒い地方の樹木は寒い冬を乗り越えるための色々な準備をするそうです。その中の一つが、冬を過ごす樹木の中に水が凍ってできた‘氷細胞’があるということです。氷細胞は、言葉の通りに氷の袋のようなものです。この氷細胞は、他の細胞より何千倍も大きなものですが、驚くことはこの氷の膜が、むしろ寒さを防いで他の細胞たちが凍らないようにする役割を持っているということです。そして、寒い冬が過ぎて春が来たら、氷の袋は溶け、溶けた水は樹木の中のあちこちに流れ、葉の芽が芽生え始めた細胞に染み込みます。それで、寒さを忍んだ枝の先には、青みが戻ってきて、薄緑の若葉が生えるようになるそうです。
考えてみますと、私たち人間もその氷細胞のようなものを持っています。誰かとの関係の中で受けた傷からの恨み、怒り、復讐心などのような氷の塊を持っています。つまり、心と記憶のわだかまりたちです。ところが、このわだかまりは、いつかは相手に返そうと思っている意志の塊でありますから、なかなか捨てようとはしません。時が流れて自分はもうとうに忘れたと思うこともありますが、実は心や記憶の底に残っているのがほとんどです。なぜなら、そのわだかまりは、氷細胞のように辛い時期を乗り越えるための心の盾として役に立つと思い込む傾向があるからです。それゆえ、ほとんどの人間は、氷細胞のような心や記憶の傷をなかなか捨てようはしないで、むしろ硬く握って心の保護膜にしているのです。しかし、樹木から学ぶことができますように、人生の春を迎えるために、また生活の中で若葉が芽生えるためには、氷細胞を溶かして命の水に変えなくてはなりません。過去の傷からの心のわだかまりが溶けない以上、人生の若葉が芽生えることはないからです。人生の若葉が芽生えないと、いつまでも冬の物寂しい枝として一人寂しく残っているだけです。
そのような意味で考えてみますと、赦しと和解は、外で起こることではありません。自分の中で、心の中で成し遂げられることなのです。人生の春を迎えたいのであるならば、いつも若葉が芽生える幸せな人生を送ることを望むのであれば、先ず、自分との和解を試み、自分を赦さなくてはなりません。自分と和解し自分を赦すことができれば、相手を赦すことはもう成し遂げられたことになると思います。それなら、どのようにすれは自分と和解し、自分を赦すことができるのでしょうか。いかがでしょうか。あなたはどう思うのでしょうか。 自分と和解するためには、何より先ず、心の底に潜んでいるわだかまりを直視することが求められます。それはわだかまりの原因を提供した出来事と向き合うことでもあります。そういった部分は、長年無視し回避し続けてきた恐れや不快感の領域でもあります。それゆえ、自分の力だけに頼るのではなく、神様の助けを求めつつ向き合うこと、また失敗しても何度も挑戦することが大事です。そのように墓から石を取りのける過程を通して、私たちもキリストの復活に与ります。人生と信仰の場が、墓の中から外へ、抑圧から自由へと変わるのです。

香蘭女学校チャプレン  成 成鍾