チャプレンメッセージMessage from the Chaplain

2020年09月01日掲載

「自立する」

 

 いつもとは違う夏休みも終わり、2学期が始まりました。相変わらずコロナウィルスによる不安と困難に直面している世界が私たちの前には広がっています。こんな時だからこそ中高生のみなさんには心掛けていただきたいことがあります。

 中高生の時代に大切なことは自立した人間になるということではないかと私は考えています。自立はもちろん孤立とは違います。他者との関係性の中で生きながら自分自身が固有の人格を持つ一人の人間として価値観を模索し、いかに生きるかを問うことが自立することへの出発点であると言えます。子どもとして許されてきた今までの甘えを断ち切って、自らの責任で生きていくということは時に寂しさ、悲しさを感じ、不安や恐れに捕われることもあります。しかし、かけがえもなく尊い存在として1回限りの人生をどう生きるかを考えるとき、自立への歩みを止めるわけにはいかないのです。 

 ヨハネによる福音書に最後の晩餐の記事があります。その中にイエスさまの別れの説教が記されています。これから弟子たちのもとを離れていく、その悲しさの中でイエスさまは「しかし、実を言うと私が去っていくのは、あなた方のためになる」と言っているのです。イエスさまが去っていかなければ弟子たちは聖霊の力を得て自立して生きていくことができないということです。イエスさまがずっといてくだされば怖いものもない、大丈夫、そう考えている弟子たちにイエスさまは「さよなら」を言うのです。 

 わたしの好きなアニメに「ドラえもん」があります。耳のない「どら焼き」の大好きなネコ型ロボットの「ドラえもん」は22世紀の未来から現代にやってきて、何をやってもだめな「のび太」を助けながら、を少しずつ成長させていくアニメです。テストを受けても5回に1回は0点、自転車にも乗れない、いじめられっ子の「のび太」はいつも「ドラえもん」に甘えていろいろな道具を出してもらい「ドラえもん」なしでは生きられません。あるとき、「ドラえもん」はこのままでは「のび太」が依存的になりすぎ自立して1人で生きることができなると考えて未来に帰ることを決意します。そこで一計を案じるのです。「のび太」がくれた「どら焼き」を食べて「ドラえもん」はおなかが痛くてつらい、ぼくは壊れてしまうと言うのです。心配する「のび太」に「ドラえもん」は未来に帰れば直る、でも僕がいなくなったら困るだろうと言うのです。「のび太」は当然「君なしで生きてなんかいけるわけないじゃないか、でも未来に帰ればおなかの痛いのが治るならボク我慢する」といって泣きながら別れるのです。 

 この「のび太」が自立するために未来に帰っていく「ドラえもん」の姿はイエスさまと弟子たちとの別れの場面を思い起こさせます。人間はいつだって悲しくつらい別れを経験しながら成長し、自立していくのでしょう。中高生のみなさんは今、いろいろな面で自立していく大事なときです。自立するということは文字通り、自分の足でしっかりと立つことですが、精神的には自分のことに責任を持って生きるようになるということです。そのためには今までの甘えや依存的な生き方と決別していくことがたいせつです。 

 このことは中高生のみなさんだけでなく私たち大人すべてにも問われていることです。飛躍するようですが、今回のコロナ禍によって今まで当然とされていた生活ができないという状況を経験して、私たち人間すべてが従来の価値観や生き方から決別することが求められているのかもしれません。今私たちは何と決別するのか、じっくりと考えたいと思います。


香蘭女学校チャプレン  杉山 修一