チャプレンメッセージMessage from the Chaplain

2020年11月01日掲載

「永遠のいのち」


 11月1日はキリスト教の暦では諸聖徒日(諸聖人の日)として、教会の歴史の中で聖人と言われる人々を記念する礼拝が行われてきました。この諸聖徒日の前日である10月31日がハロウィーンです。本来はキリスト教とは関係ないケルト人の収穫のお祭りでした。やがて「神聖な」という意味のHallowsという言葉に「前夜祭」という意味のEveがくっついてHallows eveとなり、それがHalloweenとなり、諸聖徒日の前夜の悪魔祓いという意味で定着していったようです。特にアメリカでは大きなカボチャをくりぬいてお化けのような提灯を作ってかざり、子どもたちが様々な扮装をして近所を歩き回りながら“Trick or Treat” (お菓子をくれなきゃいたずらするぞ)と叫びながらお菓子をもらい歩く習慣が定着しました。最近は日本でもこのお祭りが若者に定着して毎年10月31日頃になると顔に血が付いたようなお化けのメイクをしたり、奇抜な服装をしたりして渋谷の街で大騒ぎをする若者が現れるようになりました。

 諸聖徒日の翌日、11月2日は諸魂日といって、神さまを信じて亡くなったすべての人々を記念する日としてお墓参りをしたりする日になりました。ちょうど日本のお盆やお彼岸のような日といって良いかと思います。

 私たちはしばしば身近な人の死に接します。私のような年齢になると祖父母、両親を始め、兄弟、友人などを見送って大切な人たちとの別れを多く経験することになります。これらの大切な人々と死によって切り離され、みんな遠くに行ってしまったようにも思いますが、一方でどこかでしっかりと繋がっているように感じることもあります。

 10数年まえに話題になった小説に小川洋子という芥川賞作家の「博士の愛した数式」という作品があります。その後映画にもなりました。本を読んだ方、映画を見た方も多くいるかと思います。博士と呼ばれる不思議な人物と生活を手伝う家政婦とその子供の物語です。

 主人公の博士は交通事故である時点からの記憶を失い、新しく出会ったことについての記憶は80分しか続かないという一種の記憶喪失なのです。しかし彼は数学の天才で数や図形に関して驚くような直観と才能を持っているのです。身の回りを世話する家政婦には10歳の男の子がいて、頭のてっぺんが平らなことから博士はルートというニックネームをつけます。博士は家政婦とルート少年にいろいろと数学のことをわかりやすく話をしてくれます。ある時ルートが野球の練習中にけがをして病院に行くのですが、博士は病院の廊下でルートの母親に1枚の紙の上に一本の直線を描かせます。正確には両端があるので線分です。博士はこう言います。「これは両端が切れているけれど、本当の直線はずっと続いている。無限にどこまでも続いている。決して途切れることなく、続いている。時間でいえばずっと過去、そしてまだ見えない未来に続いている。しかし私たちの体力、いのちには限界があるので、私たちはとりあえずの線分を本物の直線だと了解しあっているのだ。そして永遠の真実は目に見えない。しかし、それが目に見える世界を支えているのだ」と。博士は80分の記憶しか続かない。それは80分の時間、線分を生きているということです。でもその80分の中で家政婦とルートと温かい人格的な関係を結びます。短い時間を精一杯生きているのです。実は私たちも有限であるそれぞれの短い線分を生きているということなのです。しかし、限られたその線分としての時間は死という限界を超えて本当は無限にそして永遠につながっているのだということができます。11月に入って永遠と今について思いめぐらしてみてはどうでしょう。


香蘭女学校チャプレン  杉山 修一