チャプレンメッセージMessage from the Chaplain
2021年04月01日掲載
「出会いと別れ」
コロナ禍の中今年も卒業生が巣立っていきました。限定された中で、それでも何とかチャペルで卒業感謝礼拝が行われたことは大きな喜びでした。卒業生の嬉しそうな表情、香蘭女学校のキリスト教に基づく教育に出会ったことによってどれほど自分が大きく変化したことを心のこもる言葉で語る卒業生代表の謝辞に目頭が熱くなる思いでした。春は「出会いと別れ」の季節であると言えます。3月には卒業する生徒、また退職する教職員がいます。そして4月になると新入生と出会い、新任の教職員と出会うことになります。
3月、退職される先生方の送別の集まりがタナーホールでありました。退職される教職員方から別れの言葉をいただき、全教職員で感謝をするという集まりでした。香蘭女学校と出会い、生徒たちと出会ったことによって自分がどのように変えられ、多くの学びを得たかを心の深いところからの言葉で語る教職員の姿が実に印象的でした。入職したころの新鮮な思いと決意、生徒と出会い、共に学んだ喜び、また苦しみなどそれぞれの方々の言葉は深く心に残るものでした。チャプレンとして祈りを捧げた私は教職員の方々をこの学校に送ってくださった神さまに感謝するとともに教職員の方々のこれまでの働きへの感謝、そして私たち人間が出会うことによって大きく変えられる経験をすること、そして別れることによって大きく成長することに触れ、出会いを感謝し、別れを新しい成長の時としてくださいと祈りました。送別の集まりの後、退職されるお一人の先生が私のもとに来られ、出会いによって変えられ、そして別れによって成長するということは本当にその通りだと実感しましたと私の祈りの言葉に共感してくださいました。M. ブーバーという哲学者は「あらゆる真に生きられる現実は出会いである」ということを言いました。言い換えると出会いこそが私たちの人生を決定づけるということでしょうか。恐らくこの先生は香蘭女学校で多くの出会いを経験し、自分が大きく変えられてきたことを実感されているのだろうと思いました。そしてその出会った人や出来事と別れ、訣別することで自分が新たな成長へと歩み出すことができることを希望を持って確信しておられたのでしょう。
聖書にイエスさまのご復活を最初に体験した女性のことが記されています。マグダラのマリアという女性でおそらく様々な事情で多くの罪を犯してきた女性と思われます。そのマリアがイエスさまと出会って、それまでの孤独でみじめな人生が大きく変えられる経験をしたのです。自分をひとりの人間として存在を肯定し、罪を赦し、愛される価値がないと思っていた自分を愛してくれるそういうお方と出会い、生きることの意味と価値を悟ったのです。イエスさまが十字架につけて殺された時、弟子たちの多くは逃げて行ってしまったのにこのマリアは決して離れることはありませんでした。イエスさまの死を誰よりも悲しみ、絶望的な思いに捕われながらも、イエスさまの葬りに出向きました。イエスさまとの死による別れは彼女にとってどれほどの悲しみだったでしょう。しかし、墓のそばで悲しむマリアに「婦人よ、なぜ泣いているのか」と復活のイエスさまが優しく声を掛けます。悲しんでいるマリアに復活したイエスさまは一番初めに声を掛けるのです。この時からマリアは大きく成長します。地上での別れによってかつてのように会うことができなくても、復活されたイエスさまが共にいて自分を生かして下さっている。イエスさまは本当に復活された、そう信じることができたのです。イエスさまと出会って人生を変えられ、イエスさまと別れ、復活のイエスさまを信じることによってマリアはどんな困難や苦しみにあっても生きて行くことができる新しいいのちを生きる人間へと成長することができたのです。春は「出会いと別れ」の季節です。私たちも真実な出会い、そして別れを経験することから、生き方を変えられ、成長することができるという希望を持ち続けたいものです。
香蘭女学校チャプレン 杉山 修一