チャプレンメッセージMessage from the Chaplain

2021年10月01日掲載

「一人を大切にする」


 ここ1~2年学校もコロナウィルスの蔓延によって翻弄されています。特に新たな変異株が子どもにも感染するということから、子どもにもワクチンを接種することの問題が話題になっています。そのことから子どもワクチン接種の有無から接種していない子が特定され、いじめや差別の対象とならないために学校では集団接種は行わないといったことも話題となりました。ワクチン接種の話題の前にはコロナに感染したということがやはりいじめや差別の対象になると言ったことが言われ続けていました。いじめや差別の問題はコロナやワクチン固有のものではなく、常にわたしたちの社会、特に学校などで自分たちと異なる存在を排除するという人間の根源的な弱さの中にあると言えます。特に最近はネット上の批判攻撃など、匿名化された無責任ないじめや差別が蔓延していると聞きます。

 聖書の中でも、自分たちの守るべき律法や生活習慣を守らない人、守れない人を非難し、差別、排除するということは福音書の様々な箇所にあります。特にイエスさまの出会った人とのやり取りの中に頻繁に描かれています。ルカによる福音書の15章には「見失った羊」のたとえが記されています。よく知られているこの話、100匹の羊を持っている人が失われた1匹を他の99匹を野原に残して見つけ出すまで探すという話です。そしてこのたとえをイエスさまが語られた理由が15章の冒頭に書かれています。イエスさまの話を聞こうと近寄ってくる罪人、徴税人を見たファリサイ派の人々、律法学者たちがその様子を見てイエスさまのことを、「この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしている」と不平を言った、そのことに対するイエスさまの答えがこの「失われた羊」のたとえだったのです。つまり、ルカによる福音書の「見失った羊」というのはまさに当時の社会の主流である価値観、律法を厳しく守ることを実践し、それを人に要求する人々とそれに同調する社会からいじめられ、排除されてそこにいることができなくなった人々のことなのです。

 1888年に開校された香蘭女学校のキリスト教教育の理念、根底には一人の生徒を大切にするという考え方があります。香蘭という校名から「薫りをはなて とりどりに」という言葉で表現されていますが、一言で言えば「一人がかけがえもなく大切なのだ」ということです。一人の生徒に与えられた賜物はそれぞれ異なっているがその違いある賜物こそ、その人自身を意味しているかけがえのない価値なのだということです。一人が大切ということは現代の価値観としても当たり前のように思われますが、実は最も難しいことです。所属する集団の価値観や社会の習慣と違うこと、異なる存在を私たちは簡単には受け入れられないのです。一人が大切と言いながら現実には一人ではなく全体を重く考えるのです。言い換えれば1匹の羊より99匹の羊を大切にするということです。このような価値観の中で、聖書の言葉で言えば「99匹を野原に残して、1匹を見つけるまで探す」なんていうことができるでしょうか。

 こう考えるとイエスさまが当時の社会や集団からいじめられ、排除されている人たち、つまり1匹の羊を命がけで探し求めるという生き方がどれほど現実にはありえないことなのかということがよくわかります。香蘭女学校はなんとそのありえない、99匹を野原に残してでも1匹を見つけ出すまで探すということ、徹底して一人大切にするということを学校の理念として宣言しているのです。そのことがどれほど嬉しいこと、価値あることだということがわかるのは、自分が99匹の側にいるときではなく、たった一人、排除され、疎外されている1匹となった時だと思います。香蘭女学校はイエスさまの生き方に倣って一人を大切にする生き方を求める人間を育むために存在していると言えるのです。


香蘭女学校チャプレン  杉山 修一