チャプレンメッセージMessage from the Chaplain

2021年12月01日掲載

「キリストの平和」


 12月に入り、私たちは平和の君である主イエスの到来を待ち望むアドベントを過ごしています。この時期世界中の至るところでクリスマスイルミネーションが点灯されます。香蘭女学校のクリスマスツリーも11月26日に点灯式が行われました。美しいクリスマスツリーは闇に輝く真実の光を象徴するように、世界に起きている暗闇のような出来事を悲しみ、平和を願って輝いています。数年前ニューヨクを訪れた私は、20年前に起きた同時多発テロで犠牲になった教え子の配偶者の名前をグラウンドゼロに見つけ、祈りを捧げた後、ロックフェラーセンターの有名なクリスマスイルミネーションを見ながら平和がどれほど大切かということを痛切に感じました。現在も世界の様々な場所で紛争や政治的混迷、また難民問題など解決の糸口さえ見えない平和とはかけ離れた現実があります。そのことを悲しむ主イエスの涙のように世界各地のクリスマスツリーの光は暗い夜に輝いています。

 10数年前の映画に「戦場のアリア」‘JOYEUX NOEL’という印象的な作品がありました。第一次世界大戦下のフランス北部、フランス・イギリスの連合軍とドイツ軍がそれぞれ激しく攻撃しあう泥沼の戦場に兵士として出征しているテノール歌手の夫に会いたい一心で自分も歌手である妻のアナはあらゆる手を尽くして夫のいる最前線まで会いに行きます。そこで対峙する自国・敵国の兵士達のためにクリスマスイブにアリアを歌うのです。そしてその夜、奇跡が起こります。つかの間、両軍の間で戦闘が止み、敵対する兵士たちが互いに集まって「クリスマスおめでとう」と祝福しあうのです。史実をもとに作られた感動的な映画でした。

 50数年前、私が高校生の時にベトナム戦争がありました。戦争は泥沼化し、多くのベトナム人、そしてアメリカ軍兵士が犠牲になりました。そのような中、1965年12月24日の夜6時から翌25日の夜12時まで、わずか30時間ですが停戦が成立したのでした。敵と味方が、クリスマスの時だけは戦うことをやめようと決めたことに、高校生の私は胸を突き動かされるような感動と喜びを感じたことを今でも思い出します。せめてイエス・キリストの誕生の時だけは「平和を」という切ない願いが実現したことが嬉しかったのでした。

 455年前の日本でも同様のことがありました。1566年のクリスマス、ポルトガル人宣教師ルイス・フロイスは大阪堺の大名松永久秀と三好一族との戦闘が行われている中、「キリストの平和」を人々に示す意味をもって両軍の中のキリシタン武士に呼びかけ、24日、25日の両日、ある家を借りて降誕図などで飾り付け、クリスマスのミサを行ったことが記録に残っています。敵同士でありながら、キリスト誕生の日に平和を願って敵も味方も共に一箇所に集まって祈ったという歴史的事実を見つめると「キリストの平和」は決して理想でも不可能なことでもない事がわかります。

 世界に目を向けてみても現実は相変わらず憎しみと争いの連鎖を断ち切ることができずにいます。平和的な関係を作るのは実に困難なことです。

 新約聖書の中にエフェソの信徒への手紙という使徒パウロが書いた書簡があります。この中でパウロという人は「キリストは私たちの平和で二つのものを一つにし、敵意という隔ての壁を取り壊した」と語りました。国家間の紛争であれ、個人間の諍いであれ、私たちの前には常に隔てる壁が立ちはだかっています。平和の君であるイエス・キリストの降誕を待ち望むということは平和を実現するために私たちが祈るとともに隔ての壁を打ち破る勇気と愛を持たなければならないのです。


香蘭女学校チャプレン  杉山 修一