チャプレンメッセージMessage from the Chaplain

2022年01月01日掲載

温故知新


 明けましておめでとうございます。香蘭女学校に連なるすべての方々の上に神さまの変わらない恵みが豊かに注がれ、良い一年となりますように。

 誰かが時間こそ人類史上最も偉大な発明と言っていました。昼と夜、天体の動きは神さまの被造物であるが、一日を24時間に、1年を365日(閏年は366日)に分け、ずっとその誤差を修正していることを考えると、確かに人間の発明と言えるでしょう。また、時間というのは何気なく流れていくものなのに、祝日を定めて記念すべきことを覚え、年末年始には悪い記憶を捨て去り、決意を新たにするなど、意味をつけることができるという面では、最高の発明品ともいえると思っています。

 その中で気になるのは「忘年」という言葉です。過ぎ去った1年間の中で良くない経験や記憶を忘れようという意味が含まれているからです。忘れたい気持ちは分かりますが、はたして過去のことを完全に忘れることができるでしょうか。忘れることができるとしても、実は脳の中のどこかに隠れているだけで、むしろトラウマになって様々な場面で生活に影響を及ぼすでしょう。問題はその過去のことをどう扱うかにあります。

 キリスト教の聖書の中に「コヘレトの言葉」という、宗教や民族を超えた普遍的な疑問の哲学的考察が試みられている書物があります。その最初の部分に「太陽の下、新しいものは何ひとつない」とあります。はかない人生を語っているのだとよく誤解されますが、これは決して虚無主義や冷笑主義ではありません。むしろ新しいことだけを追求し、先祖の経験を無視する世代に向かって、原因のない結果はなく、過去は現在を映す鏡であり、過去を振り返ることで現在を知ることができ、現在から推して見れば未来が分かるということを教えるための言葉です。すなわち、キリスト教の聖書は過去の経験の重要性を教えているのです。

 もちろん聖書だけでは、古今東西を問わずこのような教えはいくらでもあります。例えば、古代中国の思想家である孔子の教えをまとめた『論語』には「古きをたずねて新しきを知れば、もって師たるべし」という名言があります。「温故知新」という四字熟語はまさにここから生まれました。「前に学んだことや今までの経験、古い言葉をもう一度よく調べ研究して、そこから新しい知識や見解を得る」という意味です。東洋の古典でも過去の大切さを強調しているのです。  

 ここで重点は「温故」にあります。昔のことを無視して深く考えず、そこから新しいことを学ぶことができないと陳腐化しやすく、逆に新しいことにだけ執着すると軽薄になりやすいでしょう。昔のことを学びながら、たゆまない省察を通してそこから新しいことを導きだすことが重要なわけです。言い換えれば、新しいことを学んでいくと同時に、今までの学びや経験から知識と知恵を深めることが必要ということです。  

 2021年にもコロナ禍による自粛生活が続き、なかなか日常に戻ることはできませんでしたが、2020年の経験を鑑みていろいろとチャレンジをし、新たな日常を作り上げることができました。同じ失敗を繰り返さないために、また成功を生かすために、今までのすべてのことを振り返り、反省し、省察して、2022年はもっと良き一年となりますように。


香蘭女学校チャプレン  金 大原