チャプレンメッセージMessage from the Chaplain

2022年03月01日掲載

今日も平和のために祈る


 厳しかった寒さもだいぶ和らぎ、春を感じられるようになりました。でも、ロシアの侵略によって苦しめられるウクライナの人々を思い浮かべると、どうも心が落ち着きません。専門家たちは今回の戦争の背景についていろいろと説明しますが、過去から一貫してすべての戦いの背景には覇権国家の征服欲、独裁者の権力欲、そして権力者におもねって莫大な利益をむさぼる者たちの貪欲がありました。

 背景や原因はともかく、すべての戦争は力のない者たちの生活をもっと疲弊させるに決まっています。妻と子供を安全なところに送って自分は街を守るため戦場に残る男の涙こぼれる姿を収めた写真を見ました。ウクライナではすでに家族生き別れの悲劇が起こっているのです。避難の行列が続き、難民が発生し、何の罪もない人たちが殺され、傷つくでしょう。インマヌエル・カント(Immanuel Kant、1724~1804)は「永久平和論」という本の中で「すべての国の元首は戦争を他人の金、つまり人民の金で費用を払うから、戦争で何の損失も被らない国家元首は、戦争開始の決定権を持ってはいけない」と述べました。その通りです。戦争とは、戦争を企画し実行する者たちの安全だけを守り、その他のすべての人を危険に陥らせるものなのです。だから、すべての戦争は不義です。

 数十年間、地球上に宗教や民族間の紛争、内戦はあったものの、大国が小国の主権を奪う侵略戦争はなかったと言えます。そのような意味でもロシアのウクライナ侵攻は世界を非常に危険な状況に追い込んでいるのです。わたしたちがウクライナの平和のために祈り、国際的に連帯しなければならないわけです。

 昔から今までいつも戦争はありました。古代近東で、帝国が勃興して世の中を戦争の場にするたびに、イスラエルという辺境の小さい国の預言者たちはずっと平和のビジョンを示していました。狼と小羊が共に宿り、豹は子山羊と共に伏し、子牛は若獅子と共に育ち、小さい子供がそれらを導く(イザヤ11章)世界を夢見ていたイザヤが代表的な例です。とんでもない夢のように見えますが、このような夢もなかったら、弱い国の民らは、その絶望的な状況が耐えられなかったでしょう。イザヤ(2:4)はもちろん、ヨエル(3:10)も、ミカ(4:3)も、剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする世界、国と国が互いに向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない世界を夢見ていました。イエス・キリストもやはり、「平和を実現する人びとは神の子と呼ばれる」(マタ5:9)と教えられました。神様はわたしたち人類を戦争ではなく平和への道に、そのための働き人として呼びかけているのです。

 このような夢を見、平和へのビジョンを共有し、神様の呼びかけに応えて、平和の種を蒔く人たちがいるから世界にはまだ希望があると思います。すべての国の指導者たちが、戦争と暴力はどんな場合にも最終的な解決策にならないことを知ってほしいです。国際社会の協力で一刻も早く戦争が終わり、平和の秩序が確立するように祈ります。何より、一部の人ではなく、わたしたち皆が、戦争とテロと感染症で苦しんでいる人々のために祈り、連帯して、この暗闇をぶっ飛ばし、真の光の導きに従っていけるようにと願います。


香蘭女学校チャプレン  金 大原