チャプレンメッセージMessage from the Chaplain
2023年01月01日掲載
新しい旅の始まり
「新年の奇跡」というタイトルの短い文章を読んだことがある。だいたい次のような内容だった。「鳥は飛んで、馬は走って、亀は歩いて、カタツムリは這って進んだが、同じ日同じ時間、元日に到着した。岩は座ったまま着いていた。」この通りで、驚くべきことではないか。生きる速度はそれぞれ違っても新年は皆に公平に近寄るのだ。
でも、残念ながら、新年を迎えてカレンダーを掛け替えても、手帳を買い替えても、人生が新しくなるわけではない。新しい人生は心から始まるからだ。すなわち、わたしたちの人生は、時間の長さよりはその密度によって変わると言えるだろう。時間の波に押し流されて生きる人がいれば、時間の波に乗って生きる人もいる。その結果は、惜しみと悔やみ、感謝と喜びという大きな違いを生む。
この時期になると、ニコス・カザンザキス(ギリシャの小説家、1883~1957)の「グレコへの報告」の中にある、焦燥感についての話が思い浮かぶ。ある日、彼は散歩中に、オリーブの木にしがみついている「幼虫」を見つけた。それをもぎ取って手のひらに置き、じっとのぞき見ると、透明な皮の中にいのちがぴくりと動いていた。いのちが目覚める秘密の過程の最後の段階に至ったようだった。彼は、まだ繭の中に閉ざされている将来の蝶が皮を破って出て来る神々しい時を待つことにした。奇跡のような場面を自分の目で見たかったが、目覚めるまでの時間はあまりにも遅かった。それで、身をすくめてうずくまり、幼虫に温かい息を吹き入れた。すると、すぐ皮が破られ、薄緑色の蝶が出てきた。蝶は羽を広げようと頑張ったが、途中で動かなくなり、羽を広げることはできなかった。自然の摂理を無視して急がせたせいで蝶が死んでしまったような気がして、彼は自責の念に駆られた。話の終わりに、ニコス・カザンザキスはこう言う。「人間は急ぐが、神はそうでない。だから、人間の作品は不確実で不完全であるが、神の作品は欠点がなく確実である。わたしは涙ながら、自然の掟を二度と破らない、と誓った。木々のように風にもまれ太陽光と雨を浴びて、いらだたずゆっくり待たねば。ついに待ちに待った花と実りの時は来るであろう。」
急ぐことのない神の時間に順応して生きることができれば、息切れがすることなく、すべてが揃うだろう。何はともあれ、新年というプレゼントがわたしたちの前に届いた。心を新たにして旅立たねばならない。
香蘭女学校チャプレン 金 大原