チャプレンメッセージMessage from the Chaplain

2023年2月01日掲載

寒いねと答えるイエスさま


 寒気団が日本列島を覆い寒い日が続いています。寒い日になると私は思い出すことがあります。現代の歌人に俵万智という人がいます。「サラダ記念日」という1987年に出された歌集の「寒いねと話しかければ寒いねと答える人のいるあたたかさ」という作品が私は好きです。恋人か誰かはわかりませんが、身も心も凍りつくような寒い日、「寒いね」と声をかけて「寒いね」と応答してくれる人がいる、なんとあたたかいことかといった意味でしょうか。この歌を初めて知った時に私には思い出すことがありました。深い関わりを持っていた老人ホームで男性のご老人が部屋でみずから命を断ったのでした。短い遺書には「この部屋は寒いのです」とだけ書き残されていました。暖房の行き届いた施設ですから部屋が寒いはずはありません。しかしこの方にとって部屋は寒かったのでしょう。妻を失い、ひとりの彼には孤独な生活が耐えられなかったのでしょうか。部屋にひとりいることの寂しさ、人生の虚しさを感じていたのでしょうか。

 ヨハネによる福音書に一人のサマリアの女が登場します。この人は何人もの男の人と結婚したのですが幸せではなかったようです。ある日水を汲みに井戸にやって来るとそこにイエスさまがいます。イエスさまは水を飲ませて欲しいといわれます。彼女は「ユダヤ人のあなたがサマリアの女の私にどうして水を飲ませてほしいと頼むのですか」と答えます。サマリア人はユダヤ人とは同じ宗教、同じ民族でありながら差別されていたため、ユダヤ人がサマリア人に水を求めるなどということは驚きだったのです。イエスさまは彼女に、「もし自分が誰か知っていたらあなたの方からわたしに水を求めるだろう。わたしは生きた水を与えたであろう」と言い、更に「わたしが与える水を飲むものは決して渇かない、その人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」と告げるのです。このとき、女は生まれて初めて自分がありのままでイエスさまに受け入れられたことを知るのです。

 森下 一という精神科のお医者さんが書いた「不登校児が教えてくれたもの」という本に強君という少年の話があります。強君は中学1年の頃から不登校になります。まじめで、ちょっとしたつまずきでも自分を激しく責めるようなところがあり、アルバイトや就職を試みますがその度に失敗して自己卑下と自己嫌悪に陥り、自分など生きている価値が無い人間と思いつめるようになっていったようです。強君が二十歳を迎えたある日、森下先生のところに行き、『ねえ、先生。ぼくみたいなものを人間扱いしてくれてありがとう。これぼくの記念や。』と言って熊の顔のついたキーホルダーを差し出したのです。先生は彼が最期のお礼に来たと気付き蒼ざめます。強くんが死ぬと確信したのです。先生はぐに父親に電話をして『お父さん、ごめん。私の力ではもう強君を支えられんようになった。強君今夜、死ぬで。後はお父さんの力だけが頼りや。お父さん頼むで。』その夜、強君はガソリンをかぶります。強君の行動を見守ってきた父親は強君がガソリンをかぶった瞬間、息子をしっかりと抱きしめ、ガソリンまみれになりながら『強、火をつけろ』と言って息子を強く抱きしめたのです。父親の腕の中で強君はおいおいと泣き、父親も声をあげて泣きました。そして強君は生き延びます。このときのことを振り返って強くんは先生に『父親は命を投げ出して、ぼくといっしょに死んでくれるといった。父親にとって自分はかけがえの無い価値のある存在なのだ。そうだぼくには生きる価値があるんだ。今まで生きる価値が無いとばかり思いつめていたが、ガソリンまみれの父親の腕の中で生まれてはじめて自分は生きる価値があるのだと実感できたのだ。』と言ったのでした。

 私はこの本を読んで、強君と父親の関係のように、私たちのために命を捨てて愛してくださる存在があることを伝えることがキリスト教学校である香蘭の使命だと感じました。私たちには「寒いねと話しかければ寒いねと答えるひと」が必要なのだということ、そして究極的にはイエスさまが「寒いね」と答えてくださることを生徒たちに伝えたいと思うのです。


香蘭女学校チャプレン  杉山 修一