チャプレンメッセージMessage from the Chaplain

2023年03月01日掲載

わたしたちが希望の光


 悲劇は不意に訪れ、平穏な日常を揺さぶる。頑丈と思っていた土台が揺れると、崩れるのは建物だけではない。人間に対する根拠なき楽観論も崩れ、すべての隔ても崩れる。自分でコントロールできるという傲慢も崩れ、より良い人生のために立てた計画もすべて中止となる。災難に遭うと、過去と未来は消え、耐えるべき現在だけが際立つことになる。災難の前で、人間はどれほど小さい存在なのかを気づかされるのだ。

 トルコ・シリア国境付近で大地震が発生してから3週間も経った。死亡者が5万人を超えている。メディアでは、救助から復旧へと移行する段階になると伝えている。でも、一人の命でも諦めてはならない。瓦礫の中から228時間ぶりに救出された母親と子どももいたのではないか。わずかな可能性でも諦められないのは、まだまだ救助を待っている人がいるかもしれないからだ。彼らは、処理すべき仕事ではなく、わたしたちに人間らしさは何かを問う存在なのだ。

 2011年、東日本大震災によって多くの方々が犠牲となられた時、ある作家は「この出来事はたくさんの人が死んだただ一つの出来事ではない。数万人の個別の尊いいのちが失われた数万件の出来事である」と言っていた。本当にそうではないか。人はどんな場合でも数字に還元されるものではない。数字は絶対悲しみの深さを表すことができないわけである。  コントロールできない悲劇的な出来事が起こるたびに、わたしたちが聞くべき質問は、「なぜこんなことが起こるのか」ではなく、「今、わたしたちにできこと、しなければならないことは何か」である。被害が大きくなった原因の分析も必要だろう。また、今後の対策を講ずることも大事だろう。でも、今は、絶望の廃墟の中にいる被害者たちの悲しみに共感し、彼らの拠り所になる時である。

 去る2月20日、朝の礼拝の後、生徒会はトルコとシリアの人々のために募金を実施すると発表した。ありがたいことである。混沌に陥った人々に少しでも助けになろうとする幼い生徒たちから、わたしは希望の光を見た。


香蘭女学校チャプレン  金 大原