チャプレンメッセージMessage from the Chaplain
2023年06月01日掲載
キリスト教学校とボランティア
キリスト教学校教育の根幹は教育を通じてのイエス・キリストとの人格的出会いにあると言えます。そしてイエス・キリストとの人格的出会いは礼拝を始めとする学校全体の教育的営みすべてを通して行われるのですが、特に他者、特に援助を必要とする人びとへの自発的な関わりはそのよい機会となっていると言えます。明治以降日本にはキリスト教に基づく学校が多く始められるのですが、キリスト教学校の教育の中にいわゆるボランティア奉仕が大きな位置を占めていたように思います。聖書に示されたキリストの愛と奉仕を実践する営みとして様々な奉仕活動が行われてきたのです。香蘭女学校でも創立以来様々なボランティア活動を行って来ましたが、それぞれの時代の生徒にとって貴重な学びの体験となって来ました。
ボランティアという言葉は、ラテン語の自由意志を表すボロス(VOLOS)という言葉から派生した、文字通り自由な意志による行動を示し、一般には社会の中で援助を必要とする人々への支援を行う活動を意味しています。英国ではボランティアとして奉仕活動を行うということは高い教養の証とも考えられ、かつて故ダイアナ妃が地雷撤去運動を始め様々なボランティア活動を行ったことなどもそのような脈絡から理解されているのです。
わが国でボランティアという言葉が社会一般に大きく広がりを見せたのは今から28年前、1995年に起こった阪神淡路大震災の時であったと思います。この悲惨な大震災を契機に多くの人々がボランティアを経験することになりました。その後も新潟大震災、東日本大震災等、大災害が起こるとすぐにボランティアが駆け付けるというほどボランティア活動は一般化いたしました。ボランティア活動は現代の宗教活動であるともいわれるようになりました。
キリスト教学校、とりわけキリスト教女子校は欧米の宣教師による指導もあってボランティア活動は創立以来、広く行われて来ました。大地震に限っても、私がこれまで関わってきたキリスト教女子教育機関である立教女学院、大阪のプール学院、そして香蘭女学校のそれぞれの学校で、1891年(明治24年)岐阜県、愛知県を中心に起きた濃尾大地震の時に積極的にボランティア活動を行っているのです。マグニチュード8、死者7000人を超える史上最大とも言われた濃尾大地震でした。家を失い、親を失った多くの孤児たちが生まれてしまいました。特に少女たちは醜業者と言われた人々によって売られていくようなことが起きていたのです。そのような中、当時の立教女学院の教師、石井亮一は被災地を訪れ、多くの女児を引き取って孤女学校を始めます。その中に知的障がいをもつ少女がいたことから、後に日本初の知的障害者施設滝野川学園を始めています。プール学院のカサリン・トリストラム校長は看護婦を連れてボランティア活動に出向き、やはり親を失った女児を何人も引き取りプール学院で学ばせています。そして香蘭女学校でも聖ヒルダ伝道団が香蘭女学校と同じ敷地内に濃尾大地震で親を失った女児たちを引き受け、教育するための孤女学校を始めているのです。それぞれの女学校はキリストの愛に基づく奉仕活動、今で言うボランティア奉仕活動を積極的に実践してきたのです。その背後には社会的弱者に寄り添い、その人たちとともに生きたイエス・キリストへのあこがれとこの世界に派遣されたという使命(ミッション)があったのです。そのキリストの愛に基づく活動は現在に至るまで、それぞれの女子キリスト教学校では活発に行われているのです。日本社会におけるボランティア活動のパイオニアとして、香蘭女学校を含むキリスト教に基づく女子教育機関は大きな力となってきたのです。これからも香蘭女学校は愛と奉仕を実践する営みとしてのボランティア奉仕活動を展開していくことになります。このような活動を通してイエス・キリストとの人格的出会いが起こることを期待したいと願います。そのような出会いによって、世界に生きる人びととのつながりと支え合いを実現できる、平和の担い手である人間として成長してほしい、それが私の願いです。香蘭女学校はこれからも生徒一人ひとりの賜物を活かした平和を実現するボランティア活動を推進していくのです。
香蘭女学校チャプレン 杉山 修一