チャプレンメッセージMessage from the Chaplain

2023年07月01日掲載

出会いと変容


 以前、始業礼拝でも触れたことがあるのですが、かつて勤めていた学校の教員採用に全盲の女性が応募してこられました。キリスト教教育を実践する中で、障がいを持つ方への理解と共生がどれほど大切かということを生徒に対して繰り返し礼拝や授業で伝えてきました。聖書にもイエスさまが目の不自由な人を癒やされる奇跡物語が記されていて、障がいを持つ人々と共に生きることが当たり前の社会を作り上げていくということこそキリスト教教育の一つの使命であるとの認識は生徒、教職員にも理解されていました。

 ところが、自分たちの学校に全盲の教員を迎えるということは全く始めての事であったことでもあり、採用する側の教員たちの思いには複雑なものがありました。募集したのは英語科の教員で、そこに教員を目指す全盲の方が応募されてきたのです。採用となった場合、教員として十分に働いてもらうために、どのように環境を整え、必要な支援ができるか議論になりました。障がいのある方とともに働くということの意義や喜びについては誰も異論はありませんでした。ただ、学校教育の現場の忙しさ、教員の仕事の煩雑さ、その中でそのような方に働いていただくということはそう簡単ではない現実を多くの教員たちは指摘していました。そのことがまた障がいを持った方に対する差別や偏見となってはいけないということも教員はみな承知しています。しかし、実際に勤めていただくためには様々な問題点をクリアしなければならないことがありました。採用にあったて、いくつも質問が出ました。それらの質問を応募された方に伝え、その答えをうけて私は全教員に採用の方向であることを伝えました。

 応募されてきた方は盲導犬を連れて学校の中で生活することを前提としておられました。そこで授業中、また廊下などで盲導犬と生徒たちは問題なく生活できるのか。盲導犬はよく訓練されており、生徒が直接触れたり、かまったりしなければ全く問題ないことがわかりました。また授業における黒板の板書はどうするのか、ということについては、板書は生徒のボランタリーな手伝いをしてもらうことで十分できることもわかりました。テストの範囲を決めるために他の共通学年担当の英語科教員と授業の進度を揃え、指定の範囲まで行えるのかということも十分連携を取ることで大丈夫であることがわかりました。日々の授業準備など、かなりの量の自宅などでの負担にはどう対応するのかということには、教材などの準備も支援ボランティアがいて、常に支えてくれるので問題ないこともわかりました。それらの具体的な問題点を押さえて、私はこの方を採用するという方向で、教員会に諮ったのです。そこである教員から、私に対して質問がなされたのです。通常、教員採用は教科が中心となって候補者を絞り、最後に校長面接を経て決定し、教員会では報告のみ行う事になっていました。ところが今回は、全盲の方であるということから、当然その事による課題を事前に把握しておく必要はあるものの、教員採用の手順としては異例のことを行ったのです。そこで採用決定に関してある先生が私に、「校長は英語の教員として優れているから採用するのですか、それとも全盲という障がいがあるから採用するのですか」と質問したのです。私は一瞬、この教員の質問に、今回の異例な採用手順を取ったこと、また私が考える障がいを持つ方に対する配慮と思われるそのことが、もしかすると差別ということになりかねないのではないか、という厳しい問いだったように思いました。私はこの方がアメリカで留学もされ英語教員として優れていることを承知していました。一方、全盲という障がいがあって英語教員として生きようとすることもこの先生の優れた資質であるということも受け止めていました。そのことの両面を評価して採用することを決定するのだということを伝えました。

 採用後ハーネスを付けた盲導犬に導かれて元気に教室を移動する先生の姿、人知れず授業の準備をする先生の苦労、授業中の生徒とのコミュニケーション、どれをひとつとってみても、ご本人にとって、また生徒・教職員にとって実に豊かな出会いと学びの時となりました。そしてこの出会いによってそこにいた多くの人が、自分が変えられていくことを実感したようでした。キリスト教の学校であるから可能だったということではありませんが、こういった出会いによって人間が変えられていく、変容されていく、そのことの大切さを、身をもって体験した出来事であったことを思い起こします。


香蘭女学校チャプレン  杉山 修一