チャプレンメッセージMessage from the Chaplain

2023年11月01日掲載

「キリストの平和」


 10月のパレスチナのガザに拠点を持つイスラム過激派組織ハマスのイスラエルへの攻撃をきっかけに始まったイスラエルのガザへの爆撃、多くの犠牲をもたらす地上戦が進みつつある中で、人道的観点からそれを遅らせるための世界各国の働きかけが行われています。しかし、緊張状態は続き、日ごとに犠牲者が増えています。塀で囲われた天上のない監獄と言われるガザ地区に住むパレスチナの人々の命の危険、またハマスに人質となっているイスラエルの人々の命の危険、いずれも悲観的状況の中で終わりが見えません。戦争・紛争にはさまざまな理由や大義があるのですが、多くの尊い人命が失われていくという悲惨な現実をなんとしても止めなければならないと思うのです。

 旧約聖書の創世記に登場するアブラハムという偉大な人物には2人の子どもがいました。一人はハガルという女性の生んだイシュマエル、もう一人は正妻サラの生んだイサクです。イサクから後にイスラエルと呼ばれるヤコブが生まれ、イスラエル人(ユダヤ人)の始祖となります。イシュマエルはアラブ人の始祖となったと言われています。伝説的な物語ですがイスラエル人(ユダヤ人)とアラブ人(パレスチナ人)は共にアブラハムの子ども、兄弟であるということです。長い歴史の中でそれぞれが苦難を経験しながらも共存してきたのです。そのことを思うと、なんとしても平和的な解決、戦闘の停止が行われることを実現したいと願います。

 70年近く前、私が高校生の時、ベトナム戦争がありました。アメリカ合衆国を中心とする資本主義陣営と、ソビエト社会主義共和国連邦を中心とする共産主義陣営の冷戦を背景とした南ベトナムと北ベトナムの戦争でした。戦争は泥沼化し、多くのベトナム人、そしてアメリカ軍兵士が犠牲になりました。そんな中、1965年12月22日、激しい戦闘状態の中でクリスマス停戦の約束が成立したのでした。24日の夜6時から、25日の夜の12時までわずか30時間ですが停戦が成立したのでした。敵と味方が、クリスマスの時だけは戦うことをやめようという合意が成立したことに、私は胸を突き動かされるような喜びを感じ、感動したことを今でも思い出します。25日が終わり26日の午前0時からまた戦闘が始まったのですが、それでもイエス・キリストの誕生の時だけは「平和を」という切ない願いが実現したことが嬉しかったのでした。たとえ一時的でも戦闘が停止し、失われる命がなくなることは希望を感じさせたのです。その後多くの傷跡を残して戦争は終わりました。

 昔、「戦場のアリア」という映画を見ました。1914年、第一次世界大戦下のフランス北部。フランス・イギリスそしてドイツ軍がそれぞれ攻撃しあう泥沼の戦場に、兵士となって出征したテノール歌手の夫に会いたいとひたすら願うソプラノ歌手の妻アナは、あらゆる手を尽くして夫のいる最前線まで会いに行くのです。彼女はその戦場で、自国の兵士だけでなく敵国の兵士たちのために心を込めてアリアを歌うのです。そしてクリスマスイブの夜に奇跡的な出来事が起こります。アナの歌うアリアに心を打たれた両軍の兵士の間でつかの間、戦闘が止み、両軍の兵士たちが互いに集まって「クリスマスおめでとう」と祝福しあうという映画でした。史実をもとに作られた映画ということでしたが、敵同士でありながら、平和を願って敵味方が共に集まって祈ったという歴史的事実を見ると、「平和」を願っての停戦は決して理想でも不可能なことでもないことがわかります。世界は相変わらず憎しみと争いの連鎖を断ち切ることができずにいます。平和的な関係を作るのは実に大変で困難なことです。

 新約聖書エフェソの信徒への手紙2章14節にはこのように記されています。「実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、(後略)」ここには壁によって隔てられ、敵意の中にいる人間がキリストによる平和を実現するというメッセージがあります。聖書の語る真の平和、「キリストの平和」を実現するために私たちに何ができるか祈りつつ考えていきましょう。


香蘭女学校チャプレン  杉山 修一