チャプレンメッセージMessage from the Chaplain
2024年05月01日掲載
「見よ、私はあなたがたのために、あなたがたのもとへと向かう。お前たちは耕され、種を蒔かれる。」エゼキエル書36:9
4月末に、香蘭の中1新入生は河口湖で、高1の新入生は成田でのキャンプを経験しました。また他の学年は、学年別研修を経験しました。私、チャプレンとしての願わくは ― 生徒たちはその特別な時に自然環境の中で過ごします。そして5月初旬にかけて、各学年は運動会で自然に近い環境に身を置くことになります。この突然の自然体験は、私たちをより自然に身近なものとし、また同時に、新約聖書にも旧約聖書にも自然と農業のイメージや比喩があふれていることに気づかせてくれます。 このイメージや比喩は自然なことで、人々は畑や牧草地で働いていたからです。
上の日課聖書で、エゼキエルは人々を土と同一視しています。神は「あなたがたのために」おられるのであって、あなたがたに敵対されるのではなく、「あなたがたのもとへと向かう」ものとしておられます。耕され、蒔かれるとは、また、「学び」をも意味します。これは明らかに、新しい作物の準備のために「世話をし、新しい種を与えられる」という意味です。
私たちは新しい季節、新しい学年度に、神の導きと配慮を期待しています。この場合、土は人ではなく学校であり、種は新入生や転編入生などであり、耕す人はもちろん教職員です。 しかし、エゼキエル書の最新情報にも注目したいと思います。
日本のようにイスラエルも、広大な平原で農業を営むことはできません。日本では、多くの山々や岩だらけの海岸と戦わなければなりません。雨は十分にあります。イスラエルは丘陵地帯が多いが、一年の大半は乾燥しており、水はヨルダン川と井戸に頼らざるを得ません。イスラエルの土地のうち、農業に適しているのはわずか20%ほどです。(偶然ですが、日本も同じ20%ほどです!)しかし、イスラエルは独立国になった1948年以降、農業用地は約300%増加しました。イスラエル人は必要な食料の95%を自給し、一部の食料を輸出しています。
私たちは、こうした素晴らしい発展を、神の民に対する神の計画の約束の証とみなすことができます。ひいては、私たちもまた、神の作られた学校のひとつとして、この関係から恩恵を受けることができるのです。
2024年の学校年度が「よく耕され、種を蒔かれる」ものでありますように!
香蘭女学校チャプレン マーク・ウィリアム・シュタール