チャプレンメッセージMessage from the Chaplain

2024年09月01日掲載

「あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして、自分を変えていただき...」 ローマの信徒への手紙12:2a


 神学者カール・バルト(Karl Barth)をご存知でしょうか。彼は20世紀前半にキリスト教の教義について多くの論文を発表しました。バルトの最も有名な本「Der Römerbrief」(邦題:ローマ書)は、ローマの信徒への手紙を多角的に分析しています。私は、聖書日課がローマの信徒への手紙の時はいつもカール・バルトを思い出します。

 ローマの信徒への手紙12章1-8節で著者のパウロは小さいキリスト者のコミュニティが抱える問題について語っています。パウロは難しい神学を唱えるわけではなく、一般の人々の生活についてアドバイスしています。そのローマの信徒への手紙を分析したバルトは、神様のために自己犠牲を払うという時、ごく普通のキリスト者の場合、どうしたら良いのか、次のように説いています。「犠牲とはすべてを委ね、神様に自分の全存在を無条件に差し出すことである。その最たる方法はこの世の基準にではなく、神様の基準に沿って生きることである」。彼はヒトラーに忠誠を誓うことを拒絶した結果、大学の職を追われ祖国スイスに帰りましたが、このような信念はこうした彼自身の体験から生まれたものです。

 「神様の基準に沿って生きる」とはどのような生き方を言うのでしょう。二つのことを心に留めたいと思います。一つは、パウロの「自分の体を神に喜ばれる聖なるいけにえとして捧げなさい」という教えです。それは命を捧げるとか死ぬとかということではなく、そのように生き続けるということです。自分の特性、長所を最大限に生かす、自分のできる所で力を発揮するということです。自分を卑下したり、恥じたりすることはないという力強い励ましです。もう一つはこの世のものに流されないということです。この世に倣うことなく、心新たに自分を変え、神様に喜ばれるように生きることです。

 神様は人にそれぞれ、必ず何か賜物を与えてくださっています。私達はその賜物を生かす使命があり、個人的な犠牲とは、自分の賜物を他の人のために生かすことです。自分の仲間やグループにだけではなく、全ての人のためです。そうすることで、互いにキリストに近づき、人々の一致が進み、私たちがキリストの共同体としてより完全なものとされます。


香蘭女学校チャプレン  マーク・ウィリアム・シュタール