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香蘭女学校創立130周年記念企画展に向けて(8)

1888年(明治21年)に英国国教会の宣教師たちによって建てられた香蘭女学校は、2018年に創立130周年を迎えます。
これを記念して、教職員、在校生、保護者、校友生をはじめ、香蘭女学校に連なるすべての方々が「香蘭女学校を再発見」できる場として、「香蘭女学校 創立130周年記念企画展(仮称)」を開催いたします。

来年の企画展に向けて、香蘭女学校の歴史についてこのホームページのトピックス上で、時折ご紹介してゆくことになりました。今回はその第4回です。

《香蘭女学校の歴史 4 麻布永坂の地にコンドル設計の校舎》

香蘭女学校創立時の敷地は、東京府麻布区永坂町1番地の、子爵島津忠亮(しまず・ただあきら。1849年~1909年。日向・佐土原藩主の島津忠寛の長男。貴族院議員。)邸の一部1,644坪を1888年に30年契約で借りました。(1,702坪説もあり)
ここは江戸時代末期には松平右近将監の下屋敷だったところ。現在は参議院副議長公邸の北隣にあたり、麻布永坂ハウス・麻布永坂ヒルトップなどのマンションのほか、松山善三(映画監督・脚本家)・高峰秀子(女優)夫妻が亡くなるまで住んでいた家などがある、植木坂沿いの閑静な住宅街です。
さて、1888年3月に完成した麻布永坂の香蘭女学校の校舎は、建築家ジョサイア・コンドルの設計によるものでした。ジョサイア・コンドルは1852年ロンドン生まれ。英国王立建築家協会コンペに応募して一等となったコンドルは、その年(1876年)秋、日本行きを決め来日しました。そして1884年まで日本政府の御雇い建築家として働き、工部大学校の教授としても東京駅や日本銀行本店などを設計した辰野金吾ら優秀な建築家を育成しました。政府との契約が切れた後も、コンドルは日本に留まる決意を固め、後に花柳流の日本舞踊の師匠・前波くめを妻とし、1920年6月、日本の土に帰りました。このジョサイア・コンドルが設計した最も有名な建築物は、1883年に竣工した鹿鳴館です。その他、現存する建造物としては、御茶の水のニコライ堂(東京復活大聖堂)(1891年)、岩崎久彌邸(台東区池之端にある)(1896年)、岩崎彌之助高輪別邸(現在、御殿山にある三菱開東閣)(1908年)、岩崎彌之助家廟(現在、静嘉堂文庫の敷地内)(1910年)、三井家倶楽部(現在、港区三田にある三井倶楽部)(1913年)、島津忠重邸(現在の清泉女子大学本館)(1915年)、古河虎之助邸(現在の古河庭園内)(1917年)などがあります。
香蘭女学校の校舎は、コンドルの作品としては意外なほど簡素な木造二階建ての建築でしたが、現在残る写真を細かく見てみると、全体の構造や柱などにコンドル作品らしさが散見されます。残念ながら1910年の火災によって校舎は焼失しました。ただ、礼拝堂(チャペル)だけが類焼を免れ、白金三光町の新校舎に移設されました。しかしその建物も壊され、ただ礼拝堂の聖壇の一部が、白金三光町から井の頭公園隣りに移転したナザレ修女会に残されていました。
いずれにしても、香蘭女学校の最初の校舎はこのように英国建築の代表的作品として作られたというわけです。
校舎の玄関を入って右隣が教員室(兼事務室)(三間×四間の広さ)でした。教員室の中央には大きな机があり、右手の壁には幅一寸長さ三寸ほどの木の札に生徒の名前がそれぞれ書かれていたものがズラリと掛けられていました。教員室の隣は生徒の出入りする入口があり、そこに下駄箱が置かれていて生徒はそこで室内用の草履と履き替えました。教員室の廊下をはさんで向かい側が教室(三間×六間の広さ)で、生徒各自の持ち物は、教室の隅に小さく仕切った戸棚にそれぞれが入れることになっていました。教室には教員室の机と同じぐらいの大きさの机があり、この教室は食堂も兼ねていたため寄宿生たちはそこで食事もしました。授業が始まるとそこは、上級生の勉強机となりました。その大きな机の向こう側、窓寄りに3人がけの腰掛けと机が2~3列並んでいて、創立当初は、その腰掛けの置いてない残りの空間に生徒が全員集まって、朝の礼拝を捧げていました。そしてその教室の左奥にも一部屋あり、その部屋は椅子で2つに仕切って2教室として使われていました。(三間三尺×四間と、三間×四間)一階にはこのほか、応接室(三間×二間三尺)、割烹所(四間×五間)、浴室、トイレ、さらに割烹所(四間×五間)、その脇には賄室と小使室が付属していました。また周囲には濡れ縁も付いていました。一方校舎の2階は、寄宿生室が3部屋と教員室が3部屋あり、やはり濡れ縁が付いていました。校舎全体の壁はとても美しいグリーンだったそうです。
校庭は島津邸の竹藪の周りを荒縄で縛って作られており、その校庭にはシーソー1台とブランコ2台が設置されていて、生徒たちは毎日順番待ちをして楽しく遊んでいました。別棟の礼拝堂(チャペル)では、女学校前庭の入口にあった香蘭女学校手芸部(1897年設置)、神学部(1903年設置)や孤児院(清蕙幼女学校、1891年設置)の生徒たちとともに朝晩、ゴングの音とともに全員が集まり礼拝を捧げていました。

(写真は左より、麻布永坂の香蘭女学校校舎、ジョサイア・コンドル、麻布永坂の香蘭女学校礼拝堂)

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