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香蘭女学校創立130周年記念企画展に向けて(16)

1888年(明治21年)に英国国教会の宣教師たちによって建てられた香蘭女学校は、2018年に創立130周年を迎えます。
これを記念して、教職員、在校生、保護者、校友生をはじめ、香蘭女学校に連なるすべての方々が「香蘭女学校を再発見」できる場として、「香蘭女学校 創立130周年記念企画展(仮称)」を開催いたします。

来年の企画展に向けて、香蘭女学校の歴史についてこのホームページのトピックス上で、時折ご紹介してゆくことになりました。今回はその第12回です。

《香蘭女学校の歴史 12 白金三光町の新校舎にコンノート殿下をお迎えして落成式》

1911年12月1日、香蘭女学校は芝区白金三光町356~375番地にある2500余坪の土地を購入し、即刻登記所に今井壽道校主、長橋政太郎校長、ミス リカーズ館長、ミス タナー教頭、ミス フィリップス、ミス ホーガンが訪れ、すべての民法上の譲受手続きを行いました。(なお、香蘭女学校館長であるミス マーベル・リカーズは休養のため1912年7月2日に一時帰英し、後任にミス エレノア・グラディス・フィリップス(39歳)が就きました。また、それまで教頭であったミス ヘレン・ニューマンは1911年に一時帰英し、ミス ルーシー・キャサリン・タナー(37歳)が着任早々の1911年7月、教頭に就任しました。)
その6日後の12月7日には、交詢社(福澤諭吉が提唱し結成された日本最初の実業家社交クラブ)で第6回の父兄の香蘭女学校再築委員会が開かれ、新校地購買の報告とともに、建築設計施工の技師選定や校舎設計等についての協議が阿部泰藏委員長(前出)を中心に早速行われました。結果、建築監督技師として坪井正太郎、坪井義造の両氏が選ばれ、翌1912年3月下旬には早くも白金三光町の新校地で起工式が挙行されました。
新校地は、校舎が完成して学校移転するまでの間に、香蘭女学校のいろいろな会に使われ始めました。例えば、1911年12月14日には母姉懇話会が18名の参加者を得て開かれたり、翌1912年5月28日には校友会が卒業生だけの参加によって開催されたり、8月28日には新校舎第1回教員会議が開かれ落成式典についての協議をしたり、また9月11日には始業式を献堂前の講堂で行ったりしました。そして9月16日には献堂式が挙行され、来賓のジョン・バジル・シンプソン司祭(32歳)が香蘭女学校理事会議長のセシル・ヘンリー・ボーフラワー主教(49歳)に新校舎献堂の辞を述べ、主教はこれを神に捧げて感謝祈祷し、さらに香蘭女学校校主の今井壽道司祭(49歳)が詩編第127編を朗読しました。
新校舎の広さは1階203坪余、2階143坪余、門番所6.5坪。諸設備、理化学器械など必要な校具もすべて短期間の間に揃えることができました。これには多くの方面からの義捐金が充てられました。特に理化学器械については、1911年9月1日逝去した卒業生平田八重子さんの夫・平田篤次郎さんから記念品調整基金と称して送られた700円、同22日に逝去した卒業生二村枝子さんの夫・二村領次郎さんから送られた50円の寄付に、教職員等からの義捐金を加えた計1000円余を、その調達に充てることができました。
1912年9月19日、英国から国王御名代のアーサー・オブ・コンノート殿下(29歳)を迎えて、新校舎落成式が行われることになりました。コンノート殿下を迎えるにあたっては、学校周囲の家までも軒先を掃き清めて歓迎したとのことです。また当時の、凸凹していて歩きにくかった道路は、東京市によって工事がなされて砂利が敷かれたとのことです。殿下到着前に次々と訪れるお客様は生徒たちがご案内しました。新聞記者や雑誌記者は式場の左側、式場の前側は貴賓席で、生徒たちは一人一人名刺を受け取っては「どうぞ」と言いながら案内をしました。10時半過ぎ、コンノート殿下は自動車で近くまで来られましたが、道が狭かったため途中から人力車に乗って新校舎までいらっしゃいました。生徒一同は学校の玄関で出迎え、3年生以上はそのまま講堂に入り、それ以下は廊下に立って全員で英国国歌を歌って歓迎しました。その後殿下は、サー・クロート・マクドナルド英国大使夫妻、稲葉式部官ほか随行員の方々とともに暫し作法室で休憩された後、講堂の一段高い所に上がり、まずボーフラワー主教の日本語によるお祈り、続けて父兄の香蘭女学校再築委員会の阿部泰藏委員長の校舎再建に向けての寄付についての報告と感謝の演説、ボーフラワー主教による謝辞、1年生岡村ふく子さんによるコンノート殿下への記念品贈呈(記念品は、富田俊先生作歌『契りてし国の大園の撫子』を著名な書家である中村梅太郎(春堂)が揮毫、著名な日本画家の荒木寛友が撫子を描き刺繍を施した美しい敷物)、コンノート殿下の式辞、それに対する長橋政太郎校長による奉答の辞、そして引き続きコンノート殿下手ずから卒業証書を卒業生総代3名(高等科・本科・英語科の各卒業生総代)にお渡しになりました。(殿下は本当は卒業生全員に手渡ししたかったと話されていたとのことです。)殿下は記念品を受け取った際、すぐにその場で開いてご覧になり、殊の外お喜びのご様子だったと周囲の人々は見受けたとのことでした。また式典のあと、講堂を出て随行員の方々と親しげにお話しなさりながら生徒たちが最敬礼をしている前を通られた時、「お頭をお上げなさい。お顔が見えません。」と有難い言葉をかけられたと、当時生徒は報告しています。そのあと殿下は習字や裁縫などの陳列品を残りなくご覧になり、そして自ら鍬を手にして校庭に小松をお手植えになりました。
こうして香蘭女学校は新校地と新校舎を得て、白金三光町での新たなスタートを切りました。新しい講堂はこの日を記念してコンノートホールと命名されました。また、この落成式の日9月19日は、以後香蘭女学校の創立記念日とされることになりました。

(写真は左上より、白金三光町新校舎、白金三光町校舎の校門、コンノート殿下お出迎え、コンノート殿下到着、コンノート殿下植樹、コンノートホール)

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