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香蘭女学校創立130周年記念企画展に向けて(22)

1888年(明治21年)に英国国教会の宣教師たちによって建てられた香蘭女学校は、2018年に創立130周年を迎えます。
これを記念して、教職員、在校生、保護者、校友生をはじめ、香蘭女学校に連なるすべての方々が「香蘭女学校を再発見」できる場として、「香蘭女学校 創立130周年記念企画展(仮称)」を開催いたします。

来年の企画展に向けて、香蘭女学校の歴史についてこのホームページのトピックス上で、時折ご紹介してゆくことになりました。今回はその第18回です。

《香蘭女学校の歴史 18 泊りがけの修学旅行(日光)が初めて行われる》

1922 年 10 月、念願の泊りがけ修学旅行が創立以来初めて実施されました。その記録が残っています。
この初めての泊りがけ修学旅行には 5 年生 22 名が参加し、ミス ウィリアムズ、体育担当の本多仲子先生、 そして国漢担当の富田俊先生が引率について、日光へ一泊二日の旅に出かけました。「修学旅行が日光行きと 決定された時の嬉しさ、実にいまだかつて得たことのない喜びであった」と、その時出かけた生徒の一人・守 田順子さん(後の加藤順子さん、30 回生)は帰京して書いた作文に記しています。
集合場所の上野駅には、他の学校の生徒もたくさんいました。その混雑の中、香蘭女学校の生徒たちは宇都宮 行きの列車に乗り込み、午前 7 時ちょうどに出発しました。そして秋日和の日光駅に到着しました。
引き続き、神橋行きの単線軌道の特別臨時列車を仕立てて、東照宮前(神橋)で下車し、学生拝観の手続きの 後、案内者の指示に従って東照宮境内に入りました。そしてまずは、境内休憩所で各自持参の昼食弁当を、清 冽な大谷川のせせらぎの音を耳にしながら、また空に聳える高い杉の樹の間を飛び回る小鳥の楽しげな様子を 眺めながら、いただきました。
12 時過ぎに手持ち荷物をこの休憩所に置いて、身軽になって案内者に導かれて境内を進みました。案内者は 一つ一つ説明をしてくれました。老杉、朱塗り金具打ちの校倉造りの鐘楼や鼓楼、黒田筑前守長政侯の領地内 から運上されたという高さ三丈の石の鳥居、全部で百余基ある奉納灯篭、その灯篭の中でも仙台侯献上の南蛮 鉄の一対、オランダより寄進の回転灯篭、琉球よりの蓮灯篭、石造り水盤の創始と言われている肥前鍋島勝茂 侯の寄進の御手洗場、三代将軍恭悦の獅子……など、次々と眼前に現れるものの見事さに、生徒たちは圧倒さ れました。さらに、陽明門、唐門を通り、拝殿、奥宮拝殿、ぬき門、神輿舎と、その細工に圧倒されながら見 学をしました。
この後、二荒山神社に参拝してから、午後 3 時 30 分東照宮前発の電車に乗って移動し、馬返の茶店までこの 日の宿舎であるレークサイドホテルの番頭さんが迎えに来てくれました。中禅寺湖が間近に見えて、汀を打つ 静かな水音が聞こえるほどの、まさしくレークサイドの名にふさわしい宿でした。
レークサイドホテルの別館全部が、香蘭女学校一行のために貸し切りとなりました。食事は、本館の食堂の静 粛な食卓についていただきました。
宿舎の窓辺からは、日光富士の名に背かない見事な姿を見せる男体山が、手に取るように見えました。また、 入浴のあとは部屋に蝋燭を一本立てて、夕の祈りを捧げました。
真綿を着てコートまで重ねても寒さがみなぎり、夜 10 時に床についてもなかなか寝付けなかったようです。 蝋燭の灯を頼りにして友達への手紙を書き始める者もありましたが、ミス ウィリアムズが部屋の入口に来て 「早くおやすみなさい」と言われたので、まだ休むのは惜しい気持ちがありながら、旅の夜は更けて行きまし た。
翌朝は、中禅寺湖の湖畔に沿って五丁余り奥に入り、中禅寺の門前で記念の集合写真を撮影しました。そして また宿舎に戻り、支度を整えて、ミス ウィリアムズが先発して宿を出ました。この日一日、華厳の滝など、心行くまで秋山の気に触れ、色に染みつつ、最後は小一時間お土産を求めた後、予定していた午後 5 時 15 分 に日光をあとにしました。
夜 9 時 30 分、汽車は上野駅に到着し、生徒それぞれの家からの出迎えの人々に再会しました。特に到着時間が 遅かったため、お父様の出迎えが多かったようです。
この 2 年後の修学旅行についても、記録が残っています。引率はミス ウーレー、英語の荒畑元子先生、家庭 科の川島芳子先生でした。また、この時の生徒であった堀江静子さん(後の入江静子さん、32 回生)は後に、 この修学旅行が実現したことについて「初めて修学旅行が許されましたのも進歩的な教頭長谷川先生の御力に よるものと伺いました。当時としては一泊でも大したもので、長橋校長初め堀先生、牧野先生、荒木先生等割 に御年寄の多かった故か大抵熱海、箱根と相場がきまった遠足からこの一泊の修学旅行にまで及んだ事は香蘭 としては大進歩であり……」と回想しています。このことについては、第 1 回修学旅行の引率教員であった富 田俊先生も「年と共に輪郭が大きくなって行く今の時代に、一晩泊の日光は、至って手軽な修学旅行と云わねばならぬ。」と書いており、香蘭女学校初の泊りがけ修学旅行の実現は、変わりゆく時代の要請と、日本の女 子教育の最先端を行く教頭の長谷川喜多子先生の力とが、ちょうど重なり合ったことによるものだったと言え ましょう。

(写真は左より、1926 年の日光修学旅行、本多仲子先生、川島芳子先生)

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