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香蘭女学校創立130周年記念企画展に向けて(23)
1888年(明治21年)に英国国教会の宣教師たちによって建てられた香蘭女学校は、2018年に創立130周年を迎えます。
これを記念して、教職員、在校生、保護者、校友生をはじめ、香蘭女学校に連なるすべての方々が「香蘭女学校を再発見」できる場として、「香蘭女学校 創立130周年記念企画展(仮称)」を開催いたします。
来年の企画展に向けて、香蘭女学校の歴史についてこのホームページのトピックス上で、時折ご紹介してゆくことになりました。今回はその第19回です。
《香蘭女学校の歴史 19 香蘭女学校後援会と香蘭女学校保護者会の設立》
創立以来、香蘭女学校は英国国教会の女性宣教師の「聖ヒルダ・ミッション」(聖ヒルダ伝道団)という、香蘭女学校創立者エドワード・ビカステス主教が作った団体の諸活動の一つとして運営されてきました。この聖ヒルダ・ミッションと男性宣教師グループである「聖アンデレ・ミッション」(聖アンデレ伝道団)の両伝道団を本国イギリスで財政的に支えていたのが、「セントポール・ギルド」という支援団体でした。このセントポール・ギルドという団体を作ったのが、エドワード・ビカステス主教の妹メイ・ビカステスでした。メイはこの支援団体を作った後、その支部をイギリス全土に置いて募金活動を行い、両ミッションの財政を支える活動を展開しました。一方、1897年にエドワード・ビカステス主教が天に召された時、まだ結婚生活わずか4年間に過ぎなかった夫人マリオン・ビカステス(この時30歳)でしたが、実家に戻ってからその父が1900年、さらに母が1906年に亡くなって一人になってしまい、遂にマリオンは意を決して、S・P・G(The Society for the propagation of the Gospel、福音宣布協会あるいは福音伝播協会)に女性宣教師として日本へ派遣してもらうことを申請しました。マリオンは自費での宣教を希望し、S・P・Gから許可され、1907年に女性宣教師として再び来日しました。来日してからは静岡で顕光館という名の伝道のための講義所を作り、3年後の1911年には東京へ移り、聖ヒルダ・ミッションに加入し活動を始めました。1915年にマリオンは日本聖公会南東京地方部婦人補助会会長に就任、この時の副会長が香蘭女学校教頭の長谷川喜多子でした。そして翌1916年にマリオンは、夫のエドワード・ビカステス主教の作った聖ヒルダ・ミッションの会長に就任しました。ミッションは香蘭女学校と同じ敷地内にありましたから、この年からマリオン・ビカステスは夫エドワードが創立した香蘭女学校と同じ敷地内に居住し始めたということになります。1919年にマリオンは英国に帰国。そして1923年には本国でセントポール・ギルド会長に就任します。1951年3月7日、マリオン・ビカステスは天に召され、夫エドワードの眠るチスルドンの墓地に埋葬されました。享年84歳。
さて話を戻します。1914年、ヨーロッパで第一次世界大戦がはじまり、イギリス本国のミッションも経営が苦しくなり、英国ミッションから香蘭女学校への援助が削減され、やがて全廃されてしまいました。そして1918年10月4日、ミッションからの援助を失ったために苦しくなった学校経営を後援する目的で香蘭女学校「後援会」が設立され、会長に白金三光町に香蘭女学校を再建した時の功労者の一人である北川禮弼(57歳、時事新報元主筆、慶應義塾塾監)が就任しました。また、その評議員には、やはり再建功労者である石河幹明(59歳、時事新報主筆)や、志立鐵次郎(51歳、福澤諭吉の娘で香蘭女学校創立時の後援者であるタキの夫。シュネーブ世界経済会議首席代表、日本興業銀行総裁、香蘭女学校再建功労者)など、錚々たる面々がその名を連ねていました。なお、後援会幹事には長橋政太郎香蘭女学校校長が就任していました。香蘭女学校後援会の規則は次のようになっていました。
第一条 本会の目的は左記の資金を補充するに在り
1 香蘭女学校基本金の積立
2 職員優待費の補助
3 学事の改善及び諸般設備費の補助
4 修繕費の補助
第二条 男女老少を論ぜず何人にても本会の会員たることを得
第三条 本会会員は十箇年間毎月金五十銭づつ醵出するものとす
但し一人にて幾口を醵出するも宜し又其の口数に相当する金額を一時に払込むも妨げなし
第四条 本会に会長一人評議員若干名幹事一名を置く会長は評議員中より評議員は会員中より之を互選し幹事は会長之を任命す
第五条 会長は左の事を行う
1 総会を招集すること
2 評議員会を招集すること
3 諸報告
第六条 評議員は左の事を行う
1 会長の選挙
2 醵金の出納につき決算及び予算案の決議
3 其の他重要なる事項
第七条 幹事は若干名の事務員を使用し左の事を行う
1 醵金の保管
2 醵金の集金に関すること
3 予算及び決算の作成
4 金銭物品の出納に関すること
5 其の他本会諸般の事務
第八条 総会は毎年一回会長之を招集し左の事を行う
1 会計庶務の報告
2 規則変更に関すること
3 評議員の選挙
第九条 本会は香蘭女学校内に本部を置く
このようにして香蘭女学校では、本国イギリスからの資金援助を完全になくした後の経営立て直しが、少しずつではありますが着実になされてゆきました。
1931年7月12日と26日には香蘭女学校「保護者会」発起者会が香蘭女学校で開かれ、保護者会会則の草案が作成されました。そしていよいよ1931年9月19日の創立記念日、保護者会創立会が開催され、会則承認、評議員選挙、会長互選が行われ、近新三郎会長、安達温副会長、田村貫一・藤井真澄・升田憲元幹事が選ばれ、ほぼ全保護者が会員となって、香蘭女学校保護者会が正式に設立されました。この保護者会は、先に設立された後援会とともに学校経営の経費の一部を負担することになりました。
(写真は左より、メイ・ビカステス、マリオン・ビカステス、志立鐵次郎氏)