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エントランスホールで沖縄平和学習展示と写真部展示

12月に実施された「沖縄平和学習」の写真展示が、エントランスホールで行われています。生徒が現地で写した写真にキャプションをつけて、自分たちの率直な感想・意見をその中で紹介しています。その一部を紹介しましょう。
「これは辺野古の海の写真です。とても美しい海ですが、基地建設によってジュゴンなどの生物が影響を受けていて、問題となっています。」
「先日、辺野古基地がある名護市長選挙が行われ、渡具知氏が当選しました。これは事実上基地移設を容認するような結果となりました。辺野古基地建設現場で、無言の抵抗を続けてきた座りこみをしていた方々はいまどのような思いをしているのでしょうか。」
「沖縄の上空では、アメリカの戦闘機やヘリコプターが頻繁にみられ、大きな音が周辺に響き渡っています。しかし沖縄の人々は気にも止めません。沖縄では軍用機が飛んでいることが日常の一部と化しているのです。それなのに沖縄(日本)は平和といえるのでしょうか?」
「普天間基地は住宅街に囲まれており、住民は危険と隣り合わせの生活を送っています。」
「これは、嘉数高台(かかずたかだい)から撮られた写真です。街を360°一望できる場所で、もちろん、普天間の米軍基地もみえます。基地に関するプレートの後ろには実際の基地が写っています。この場所から、「Japan」の名を背負った何機もの飛行機がアジアの戦地に向かって飛び立って行っているのです。」
「これは『平和の礎』の写真です。「礎」は「いしずえ」ではなく、沖縄の方言で「いしじ」と読みます。ここには軍人、民間人や国籍の区別なく、沖縄戦で亡くなった全ての方々の名前が刻まれています。太平洋・沖縄戦終結50周年を記念して1995年6月23日に建設されました。」
「学童疎開に向かう児童たちを乗せた対馬丸はアメリカのボーフィン号という軍艦から放たれた魚雷により撃沈されました。乗っていた8割の人は犠牲になりましたが、生き残った人々はこのいかだに乗って何日も漂流しました。その後生き残った人々には箝口令(事件のことを話してはいけないという命令)がしかれ、第二の苦しみを味わうのです。」
「これは米須海岸の写真です。沖縄戦時は、この海に沢山の米軍の艦隊が押し寄せました。また、最後、追い詰められた沖縄県民の多くが、ここで集団自決をして亡くなりました。」
「これはガマの入り口です。この中では、多くの人が恐怖と戦いながら長い間過ごしていました。想像してみてください。光のない世界で轟音といつ死ぬかわからない、死と隣り合わせで日々過ごさなければならないということを。」
また、この写真展示より前から、隣で写真部の展示も行われています。都内に大雪が降った時の写真もあって、エントランスホールを通る生徒の目を引き付けています。

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