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常総市長を訪問した生徒会役員が礼拝で報告

  昨年末の12月25日に、学校で行った募金を手渡しに常総市を訪れ、高杉徹常総市長に面会した生徒会役員のうちの一人、高等科生徒会の副会長が、1月15日の礼拝の中で全校生徒に向けてその報告をしました。
 8時15分より高橋宏幸チャプレンの司式により礼拝が捧げられました。その中で、生徒会副会長の報告があり、聖歌118番を奉唱し、オルター・ギルドの高等科1年の生徒が祭壇の燭台の灯を消して終わり、全校生徒は生徒会副会長の常総市訪問報告を各自心にとめながら各教室へ戻ってゆきました。
 今回はその生徒会副会長の報告を掲載します。
 
 
 皆さん、記憶に新しいと思いますが、2015年9月11日、台風18号に伴う大雨により茨城、栃木、宮城で大きな水害が発生。茨城県常総市では連日の大雨により鬼怒川の堤防が決壊しました。昨年の秋、礼拝で、Y先生がふるさとの災害についてお話ししてくださったことを覚えていらっしゃる方もいると思います。
 水害直後の9月はニュースで連日被害状況が報道されていましたが、最近ではメデイアで見聞きする機会がほとんどなくなりました。そんな中、昨年12月25日、私たち生徒会執行部はY先生に茨城県常総市を案内していただき、皆さんのご協力によって集められた募金を高杉常総市長に無事お渡しすることができました。募金期間は2日間と短かったですが、皆さんの善意のおかげでたくさん集まりました。募金にご協力いただき、ありがとうございます。
 さて、常総市を訪れた時の私の第一印象ですが、「本当にここで水害があったの?」と思うくらい、水害の跡をみつけることができませんでした。ごく普通の風景に見えたので、私は単純に「もう復興したんだ」と思いました。その素直な感想を伝えたところ「家の外壁を見てごらん」とY先生はおっしゃいました。外壁をよく見ると、私の身長を超える位置にうっすら白い線が残っていました。鬼怒川の水がそんな高い位置まで達していたんだと思うと、ゾッとしました。
 被害の大きかった一角を歩いた際、すれ違うのは大工さんが多く、町にはカナヅチやドリルの作業音が鳴り響いていました。4ヶ月経った今でも家屋の修復が完了せず、住民の皆さんは市が用意した避難所や親類宅に避難しているそうです。復興したように見えるのは私の勘違いだったとその時気づきました。
 ここで改めて被害の具体的なお話をさせていただきます。常総市の鬼怒川東エリアでは町の9割が床上浸水となり、市全体の排水が完了するまでに一週間かかったそうです。床上浸水をした家屋の被害は床掃除をすれば住めるという訳ではなく、床下の泥のかき出し、床板の洗浄・除菌、浸水した家具・電化製品・畳・車など1階部分の家財はほぼ全壊です。各個人で住宅修復に数百万かかり、支援金ではとても足りないそうです。
 昨年末のテレビで被災者の方が、住めない我が家を見ながら「悔しい」と言われていたのが頭から離れません。被災者の方々の悔しさは、当事者でない私たちには計り知れません。
 高杉市長は、今必要なものは物資ではなく、「目的別に指定された支援金だ」とおっしゃっていました。私たちの募金も、被災者の皆様の復興に僅かでもお役に立てれば嬉しく思います。
 常総市は農地が多く、そこには、がれきが現在も山のように積み重なっていました。お年寄りの農業者は、農業を一から始める自信がなく、やめようかと考えている方も多くいます。地域で商店を営んでいた方、工場を経営していた方も同様だそうです。このような精神的2次被害を防ぐため、地元の看護師がチームを組んで町を巡回しているとおっしゃっていました。
 また災害発生直後は、横浜市や名古屋市ががれき処理を引き受け、11月には田んぼに流れてきた布団、机、畳などのゴミ拾いのボランティアとしてY先生の母校の高校生が活躍したそうです。4ヶ月経った今も、様々な支援が被災地の復興に必要とされています。
 今回の被災地はたまたま茨城、栃木、宮城でしたが、次の自然災害の被災地は私たちの学校や自宅周辺かもしれません。報道も減り、私たちもつい多忙な日々に追われがちですが、自然災害の脅威を忘れず、被災地への関心を持ち続け、「私たちにできることをする」、そんな行動力を身につけたいと思います。
 今回、Y先生のふるさとであったことから、高杉常総市長に直接募金を手渡しする機会をいただけたこと、そしてこのように深く考える機会を与えてくださったことに、私たちは深く感謝しています。
 皆さん。是非ご家族でこのことについて話し合っていただければと思います。

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